日本RNA学会会報(最新号)

追悼文集

  1. 渡邊公綱先生を悼んで    日本RNA学会会報
  2. 渡辺公綱さん追想      志村 令郎
  3. 渡邊公綱さんの早すぎた死を悔やむ 西村 暹
  4. 渡邊さんとの交流      大澤 省三
  5. おもいで          大島 泰郎
  6. 渡辺公綱先生の思い出    関根 光雄
  7. 渡辺公綱先生の思い出    横山 茂之
  8. 渡辺公綱先生をしのんで   堀 弘幸
  9. さようなら         姫野 俵太
  10. 渡邊先生との思い出     浅川 修一
  11. 東工大渡辺研究室の思い出  横川 隆志
  12. 渡辺公綱先生と私      渡邊 洋一
  13. 渡辺公綱先生の思い出    横堀 伸一
  14. 渡辺公綱先生を偲ぶ     富田 耕造
  15. 渡辺先生の遺志を継いで   鈴木 勉
  16. 恩師 渡邊公綱 先生     鴫 直樹
  17. 渡邊公綱先生略歴      

渡邊公綱先生を悼んで

日本RNA学会会報

 平成28年10月16日、日本RNA学会第三期会長を務められた渡邊公綱先生がご逝去されました。心よりご冥福をお祈りいたします。先生の生前の本学会ならびにRNA研究への多大なご貢献に感謝し、RNA学会会報では、先生と交流の深かったみなさまにご寄稿をいただき、ここに追悼文集を作成いたしました。あわせて、先生のご功績を偲び、先生のご略歴を巻尾に採録いたします。

 渡辺公綱さんのご逝去の知らせを受けた時は、本当に驚きました。それは、彼が以前から体調がすぐれない程度の噂は耳にしたことはありましたが、それ程深刻な状態にあるとは認識していなかったからです。渡辺さんが他界されてしまった今、こうして彼との交友を回顧して、改めて過ぎ去った思い出を懐かしく思い出しております。

 渡邊公綱さん、私より10年も若くして、亡くなられてしまい、悲しく、寂しいとともに、本当に残念でなりません。渡邊さんの先生であられた今堀和友先生、三浦謹一郎も亡くなられてしまい、それゆえ、私が渡邊さんの先輩、友人として、一言述べさせていただきます。

 渡邊さんのご逝去は、まさに寝耳に水で、無念としか言いようがありません。

 長年にわたり、研究面でも、個人的にも親しくお付き合いをさせていただきました。ここ2、3年の賀状には、体調不良をのべておられましたが、研究面ではまだ活躍しているとのことでした。しかし、昨年の賀状では、研究のほうもままならないと書かれていて、心配をしていましたが、その数ヶ月後、このような訃報に接するとは思ってもいませんでした。

おもいで

大島 泰郎

 渡辺君を知ったのは、1968年秋、私がアメリカ留学から帰国し、新設された東大農学部の今堀研の助手に配置換した時である。今堀先生は教養学部と農学部を兼任しており、渡辺君はじめ大学院生は皆、教養学部の今堀研にいたので、毎週1回、セミナーの時しか顔を合わせなかったが、渡辺君は院生のボスという感じだった。渡辺君は体が弱く、小学校時代に休学し、ほかの院生より歳をとっているせいか、そのような苦労のせいか、落ち着いた態度を生みだし、それがほかの院生をひきつけていたのかもしれない。

渡辺公綱先生の思い出

関根 光雄(東工大名誉教授)

 私が東工大の大学院総合理工学研究科化学環境工学専攻の講師になってG1号館の4階に教官室をかまえ5階に研究室を立ち上げた翌年あたりに、私の恩師の畑辻明先生から、こんど東大の工学部から渡辺公綱先生が名古屋大医学部に転任した永津俊治先生がおられた生命化学専攻の講座の後任教授として着任することをお聞きした。当時、畑研では、メッセンジャーRNAの5′-末端構造を発見された東大の三浦謹一郎先生と共同研究で、キャップ化されたRNAの化学合成の研究をしていた。渡辺先生については、三浦先生の講座の助教授をされていて、核酸化学シンポジウムでも毎年ご発表されていたので、よく存じあげていた。

 渡辺公綱先生には言葉では言い尽くせぬほどお世話になっておりましたので、ご訃報に大変なショックを受けました。渡辺先生に最初にお会いしたのは、私が宮澤辰雄先生の研究室で大学院生だったときに、三菱化学生命科学研究所の大島泰郎先生の研究室でした。渡辺先生が書かれた高度好熱菌tRNAの2チオリボチミジンによる耐熱化機構の総説を読んで感激し、西村暹先生にご紹介いただいて、ドイツ留学から戻られたばかりのところに押しかけ、共同研究をしたいとお願いしました。それ以来、ずっとお付き合いいただくことになりました。

渡辺公綱先生をしのんで

堀 弘幸(愛媛大学大学院理工学研究科)

 渡辺先生、いつかこういう日が来るのかも? と頭では理解しておりましたが、ずいぶん早くて、とても残念です。生前、先生は

「俺が死んだら、葬式は派手に楽しくやってくれ。」

 と弟子たちに語っておられました。お言葉どおり、皆で会場いっぱいにお花を飾りましたよ。お通夜もお葬式も、会葬者の方々が会場に入りきれず、長い行列ができました。盛大だったでしょ? だけど、楽しくはやれませんでした。久しぶりに会う顔ぶれでしたが、皆、さえない表情をしておりました。

さようなら

姫野 俵太(弘前大学農学生命科学部)

 あの頃は若かった。将来に対する漠然とした不安を学業以外のことで埋めようとしている、とても優秀とは言いがたい大学生だった。GDP世界二位の経済を享受していた1980年、わたしは渡邊先生の研究室に配属された。三菱化成生命研から東京大学農学部農芸化学科に赴任されたばかりの先生にとって最初の卒業研究の学生であった。先生はまだ三十代。新進気鋭の新任教官にありがちな、学生に対する過度の期待は瞬時に吹っ飛んでしまったにちがいない。

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