日本RNA学会会報(最新号)

新着記事(New!)

ニーレンバーグとマテイ

タイムスリップして、大きな発明や発見の現場を見たり、後日であっても、せめて本人から、喜びや驚きを直に聞きたいものだ。しかし、いつもそういくとは限らない。ニーレンバーグとマテイによる、「UUUは、フェニールアラニンをコードする暗号である」ということを最初に示した実験には、大学院生の時に、大きな感銘を受けた。ゲノムに刻まれた情報がA、C、G、Uの4文字アルファベットの3文字の組み合わせによって単語としての意味を持ち、アミノ酸の種類や、メッセンジャーRNAの読み始めや読み終わりを指示し、文章を作っていたことに驚いたのだ。

RNAフロンティアミーティング2018 参加報告

平島智貴 (京都工芸繊維大学)

京都工芸繊維大学 応用生物学専攻の平島智貴です。今回は箱根で9月に開催されたRNAフロンティアミーティング2018に参加しましたので、その報告を行いたいと思います。

DNAに、「シャルガフの法則」というのがある。DNAを構成する主要な4種の塩基、アデニン、シトシン、グアニン、チミンの量比が、A=TでありC=Gであるということを示した法則であり、この提唱者はコロンビア大学のシャルガフ博士である。この化学組成データと「DNAは、二本の鎖で、らせん構造を組むことができる」という英国ケンブリッジのウィルキンスとフランクリン両博士によるX線結晶構造解析データの、合計二つの重要なヒントを基に、ワトソンとクリックは分子構造モデルを組み、「DNA構造のパズル」を解くことができた (写真1)。その分子モデル仮説は、1954年にネーチャー誌で発表され、当初は、あまり評価されなかったが、数年後に証明され、分子生物学の幕開けという大役を果すこととなる超大発見だった。その結果、1962年のノーベル医学・生理学賞はワトソンとクリックとウィルキンスの3人に授与された。誠に残念ながら、シャルガフ博士には、ノーベル賞の声はかからなかった。一方、ロザリンド・フランクリン博士は、1958年に37歳の若さで卵巣癌のため亡くなっている。彼女の早い死は、実験のため、大量のX線を浴びたことによる癌の発生が原因だといわれている。

東京大学新領域創成科学研究科メディカル情報生命専攻修士1年の韓佩恂と申します。今回は2018年9月19日から21日までの三日間をかけて、神奈川県箱根湯本のホテルおかだで開催されたRNAフロンティアミーティング2018に参加させていただきましたので、その体験をご報告いたします。

The RNA Frontier Meeting is an annual academic meeting aimed at fostering and nurturing young talented researchers though close academic exchanges. This year’s meeting was held in Hakone (Kanagawa prefecture), a popular destination among Japanese and international tourists, renowned for its hot springs and scenic landscape. The meeting consisted of a 3 day 2 night program held from the 19th to 21st of September 2018.

ーーーこの発見は、M. Frommer (豪)、R. Shapiro (米)、H. Hayatsu (日)の3人によってなされたーーー

DNAのメチル化とエピジェネティックス

次世代DNAシークエンサーとコンピューターの進歩により、ゲノムDNAを読み取る技術が飛躍的に向上し、個人のゲノム情報が、安価にかつ短時間のうちに解明され、個の医療へ役立てる時代になった。親から授かった、先天的なゲノム配列の解読は大事だが、特定する遺伝子の働きが、どのように制御されているかを知るためには、遺伝子のスイッチ役であるエピゲノムの情報 (―――後天的な遺伝子制御を意味するーーー) がさらに必要である。エピゲノム制御は、DNAの特定な部位でのメチル化により行われる。実際、高等生物のDNAのなかには微量の5-メチルシトシン (m5C) ならびにその水和物5-ヒドロキシメチルシトシンが含まれていて、遺伝子の上流部位において遺伝子の発現を制御していることがわかっている。したがって、DNA配列中の何処にm5Cがあるかを知ることは、ゲノム医科学や医療診断の分野においても、非常に重要になってきた。

埋もれていた発見

RNAに関する幾多の発見を述べてきたあとで、―――RNAやDNAが、何時、誰によって発見されたのかを今になって述べるのは、いささか面映いが、この稿では大元に戻って、そのこと、つまりDNAの発見について紹介したい。実は、筆者も以下に述べる研究所を訪れる1980年代末まで知らなかったのだが、発見者が活躍した場所は、スイスの北西部の町バーゼルである。この町は、フランスとドイツの国境で、交通の要地であることから、昔から商業の町として栄えていた。その、人口30万ほどの町に、フリードリヒ・ミーシャ―研究所 (Friedirich Miesher Institute:以後FMIと略す) という小ぶりな研究所がある。このFMIは、歩道に面した小さな玄関から入るが、中は結構広い。食堂はノバルティス社と共用で大きく、献立も豊富だ。FMIの建物は、以前は、製薬会社チバ・ガイギーの研究所であったが、チバガイギーが同業のサンド社と合併してノバルティス社になった時から、FMIという名前になり、Publicにオープンな基礎研究所になった。研究所は、筆者が居た米国のロシュ分子生物学研究所や日本の三菱生命科学研究所や、あるいは、利根川進博士が居たロシュ・バーゼル免疫学研究所と同様、大企業に支援された基礎研究所だ。特徴は、RNAに研究の主力を置いていることである。現在の所長は女性で、スーザンGasser博士だ。私の昔からの友人ビテックFillipowicz博士がいる研究所でもあり、2度ほどこの研究所でセミナー講演をしたことがある。最初はキャップの話を、2度目にはウエルナー症候群の話をした。そのどちらかの折に、研究所の名前の由来などを聞いたのだが、答えは「この直ぐ近くを流れるライン川にはマスがたくさん上がってくるから、ミーシャ―はその精子に含まれる物質を調べたからだろう」ということだった。確かに、この町のライン川沿いには美味しいマス料理をだすレストランが幾つかある。