理化学研究所の岩崎信太郎と申します。この度、RNA学会のご推薦をいただき、平成31年度文部科学大臣表彰若手科学者賞をいただくことができました。鈴木勉会長をはじめ、評議員の諸先生方、ご推薦いただきました先生方、書類準備を手伝ってくださった庶務幹事の伊藤拓宏さんに厚く御礼申し上げます。また、普段から共同研究をさせていただいているRNA学会内外の諸先生方、これまで同じ研究室で研究生活を共に過ごしてくれたラボメイトのみなさん、また現在の研究室のメンバーみなさんに支えられての賞だと思っております。自分が賞を受賞した、というよりもこれまで一緒に研究を共にしてくれた周りの皆さんのただただ名代として賞を受けとっただけだと思っています。みなさま本当にありがとうございました。

東北大学大学院薬学研究科遺伝子制御薬学分野(稲田研)に所属している李思涵と申します。出芽酵母を用いて、不活性なリボソームRNAを取り込んだ機能不全リボソームの認識・分解機構について研究しております。昨年大阪で開催された第20回日本RNA学会年会にて青葉賞に選出して頂きました。初めてのRNA学会参加で口頭発表の機会を頂き、思いもかけず受賞することができ、心より感謝申し上げます。副賞として、国際学会の旅費援助を頂き、6月11日から16日に開かれたRNA Society年会(RNA2019)に参加することができました。歴史のある大きな学会に参加したいという思いに加え、開催地がポーランドのクラクフであることが非常に魅力的で、中欧に行ってみたいという気持ちで参加を決めました。今回は、RNA2019への参加について報告いたします。

RNAと言えば、セントラルドグマの中心的な役割を担い、また遺伝子発現の様々な過程を制御する因子としての役割に注目しがちですが、生命の起源を担ったかもしれないという、もう一つの側面を忘れてはいけません。RNAはタンパク質に負けず劣らず、複雑な構造をとり、様々な分子を認識する能力を兼ね備え、さらにはリボザイムとして酵素の働きも担います。40億年前の太古の地球において、RNAが生命誕生の鍵を握るという考え方が、RNAワールド仮説です (Gilbert, 1986)。この学会にはRNAワールド仮説の信者が大勢いることでしょう。私もその一人です。証明できないことをサイエンスとしてアプローチするのはなかなか難しいので、普段、RNAと生命の起源について、思いを馳せる機会はあまり多くありません。

思い返せば、大学院の学生の頃には、セントラルドグマとかRNAポリメラーゼなどという単語に、人知れぬ愛着を感じていた。学位を取得した後にも、職業として分子生物学分野にはいたが、上記の問題を直接に扱うことはなかった。そこで、期限付きだった前職が終了に近づいた1999年に、自身に将来の研究を問うた結果として、次の職場 (2001年から慶應義塾大学先端生命科学研究所) ではRNAのことを真正面からやろうと、まず、国際RNA学会 (RNA Society) に入会し、その名も「RNA」という雑誌を定期的に購読することになった。RNA Societyの年会に参加するのは2002年の米国ウイスコンシンからである。その後、現在まで、2005年のカナダを除き、すべての年会に参加した。RNA 2004の年会の頃に、いずれRNA 2009とかが開催され、それにも参加しているのだろうかと思ったことがあったが、気がつくと今年のポーランドはRNA 2019であった。考えてみると、本当に何も知らなかったRNAの研究分野に関して、その知識の半分はこの年会で、後の半分は実験などから学んだと思える。年会の要旨集は20冊近くが手元にあるが、読み返すことはなくとも、捨てるに捨てられない (図)。

発明・発見の糸口というのは思わぬところから得られることが多い。細い糸の流れは、次々に合流し、大きな流れに育ち、新しい概念の発見に至るということになるのであり、ゲノムコードの解読は、まさにそれだった。1961年の「ニーレンバーグとマテイのポリU/フェニールアラニン実験」以来UUUとPheの関係がわかりーーーそのほか、PNPaseの逆反応で作られるPolyAや PolyCを使ってーーーリジン (Lys/AAA) やプロリン (Pro/CCC) などのコードを予想するデータはあったが、それでも限界があり、障壁にぶつかっていた。そんな時、キッカケを作ったのは、日本からの論文、転移RNA (tRNA) とリボソーム (Ribosome) の結合実験だった。

東京で開かれたRNA学会へは、古い野球帽をかぶって出かけた。帽子は、45年前に、米国のシャトキン研究室 (Dr. Aaron Shatkin) で、筆者がレオウイルスのメッセンジャーRNAがm7GpppGmという構造で始まることを発見し、論文がPNAS誌に載ることになった時に、記念に創られたものだ (写真1)。アルバという、当時30歳ほどで、イタリア系の姉御肌の女性テクニシャンがーーー研究室からの大発見を喜び、自腹を切って帽子を作り、秘書を含めて8人ほどの全員に配ってお祝いした時のものだ。額の部分に7meGpppGMeの印刷が入っている。彼女のデザインで、ニューヨークの、彼女のアパートに近い帽子屋で作ったそうだ。筆者は、ときおり、ゴルフへ出かける時にかぶって行ってこともあったが、このところ10年ほどは、―――使った記憶がなかった。何度か、洗濯もしているので、文字は、くすんではいるが、形ははまだシッカリしている。よく見ると、同じメチル基でも7位と2'位のメチルが、小文字meと大文字のMeに別れているのがおかしい。

甲子園・高校野球によせて

楽しみにしていた2019年の夏の甲子園・高校野球が終わった。決勝戦では、大阪・履正社高校の選手達が、石川・星稜高校の奥川投手の剛速球をを打ち込んで優勝の栄冠を得た。記憶に残る素晴らしい試合だった。

研究者の楽園

1970年の終わりごろには、キャップの研究は大きく広く進展していて「もう私の出番はない」ように思われた。誰かとバッティングしたり、枚挙的であるように思え、一種の燃え尽き症候群になっていたのかもしれない。すでに数年前に日本の遺伝学研究所は辞職し、ロシュ分子生物学研究所 (RIMB) の室長として独立した研究室をもらっていたのでーーー生活には困らない。「ポスドクは内部昇格を許さない」というルールがあるなか、筆者は、客員研究員だからということで、1976年から、研究所のメンバーに昇格していた。

RIMBは後に「研究者の楽園」といわれるほどに恵まれ研究所で、グラント (公的研究費) の申請は必要なく、研究テーマの選択も自由であった。さりとて、製薬会社がスポンサーになっている研究所であるから、分子生物学とはいえ、ロシュ社になにか貢献したいなとは、思っていた。所長のユーデンフレンド博士がーーー「研究所の自由度」を守るために「会社側への盾となって」苦労されていることをーーー、所長の親しい友人である早石修先生から聞いていたからである。でも、インターフェロンα (IFN) の遺伝子が、3階 (Biochemistry Dept.) のSid Pestka博士のグループによりクローニングされており、ロシュ社はIFNタンパク質を、抗がん・抗ウイルス医薬品として開発しようとして、新興のジェネンテク社と交渉中だった。このほか、2階 (Pharmacolgy Dept.) のSid Spector博士が発明したーーー乱用薬物を抗体で感知するーーーAbu・Screen/Rocheが軍隊で採用されているなど、研究所の貢献は、すでにロシュ社に認知されていた。しかしながら、筆者のいる4階 (Cell biology Dept.) からは、トップレベルの雑誌への発表論文数は、断トツであるものの、応用につながるような研究成果はまだ無かったーーー実際、基礎研究から応用研究への展開は中々難しい。

蚕ウイルスのポリへドリン蛋白

2本鎖RNAウイルス遺伝子のDNAクローニングを発表してから、これらのウイルス遺伝子の働きに興味があるポスドクが何人も来てくれて、キャップ以外にも、研究の輪が広がった。新しい発見もあった。この稿で紹介するのはカナダ・モントリオールからやってきたマックス (Massimiran Arella) と、オーストラリアから来たマイク (Mike Richardson) の発見と、痛快なエピソードである。