Prof. Robin Reed追悼文

投稿者 増田誠司(近畿大学農学部)

Robin Reedが2022年7月23日に65歳で亡くなった。私は、2001年7月から2年3ヶ月の間、アメリカのボストンにあるハーバードメディカルスクールのRobin Reed研にポスドクとして在籍した。とても貴重でドキドキした期間について、感謝と共に追悼したい。

留学を考えていた2000年頃、私は医薬品としても使用されている赤血球分化増殖因子エリスロポエチンmRNAの安定性制御について研究を行っていた。そのため留学先はmRNAに関係するところを探しており、Reed研は留学先候補の1つであった。Robinにメイルを送ると、次の日には早速来てもいいよという返事が届いた。面接も何もなしである。他の候補先はまず話をしたいというところからだったので(というか、それが当たり前なのだけれど)、Robinの決断の速さと勢いの良さにびっくりした。そのこともあって留学先をReed研にした。

その当時の自分の英語力といえば、ヒアリングはゆっくりと話してもらってなんとか聞き取れる程度、スピーキングに至ってはほぼ壊滅の状態であった。そのような状況でよく受け入れてくれるものだと感心したことを今でも覚えている。これについては後日談がある。 

実際にアメリカに渡ってReed研に着くと、やっぱりRobinが何を言っているか今ひとつよくわからない。しかもRobinはせっかちで、普通のアメリカ人よりも早口で喋るので、聞き取れないことの方が多かった。もっとゆっくりお願いと頼んでみるものの、同じスピードで繰り返すので、ほとほと困った。Robinもどうしていいかわからず困り顔をしていた。なんとかキーワードらしきものを見つけてこんな研究をやりたいと言っているようだと理解して研究をスタートした。そんな時に、当時テクニシャンをしていたRitaがRobinの言葉をゆっくりとわかりやすく話してくれ、本当に助かった。 

ここで、Robinのひととなりを紹介したい。まず、とにかくパワフルであった。朝早く来て活発に活動し、仕事が終わるとすぐに家に帰る典型的なアメリカ人でもあった。またPIとしては、あれこれ細かいことを指示せず、ポスドクの自主性を尊重するハンドオフタイプであった。私に関しては放置されていたのかもしれないけれど、英語のうまくない私との相性は意外と良かったのかもしれない。まあラボメンバーにはあまりうるさいことを言わないPIだったことは確かである。一方で、Robinは外部に対しては言いたいことを歯に衣着せずタイプでもあり、よくファイトしていたと聞いている。自分の意見は曲げないという点で一本芯の通った人だった。

さて、私は私で英語もわからず不安いっぱいの研究をしていた。当時のReed研の設備は、遠心機をコールドチャンバーに入れて冷却遠心機として使用、PCR装置は水冷で水温以下に下がらず、とても世界の先端研究をしている研究室とは思えなかった。加えて、渡米して2ヶ月後に911が起こり、さらに1週間ほど後にはReed研の入っている建物に爆発物を仕掛けたという模倣犯事件もあった。この時は、ちょうどアガロース電気泳動をしていた。取るものもとりあえず避難して、警報が解除されて実験室に戻った時には、泳動中のDNAは流れきってしまっていた。911の時、高校時代の友人はちょうどワールドトレードセンターで働いていたそうで、あと1分逃げるのを躊躇していたら生きていなかったと言っていた。こんな感じでボストンでの生活は、なかなかにエキサイティングであった。

Reed研に参加した頃には、Robinは自分で実験をすることはほとんど無くなっていた。けれども、1ヶ月ほど集中して実験していた時があった。その時には、誰よりも早くきて実験を始めていた。実験結果が出ると、それについてテクニシャンのRitaと毎回議論していた。うまくいかない時には(大抵うまくいかなかったようだけれど)時折、口論にもなっていた。それでも毎日のように新しい仮説を立てて、それを1つ1つ検証していた。初めの頃は、「いくつ仮説があるねん」「こんだけうまくいかへんでも、なんでへこたれへんねん」と思っていた。そのうち、「ハーバードメディカルスクールのプロフェッサーだからといって、いつでもうまくいくわけではないんだ」、「少しでも可能性があれば他人が1やる間にRobinは2とか3をやってしまうんだ」ということを学んだ。Robinは、いつでも活発で貪欲で一生懸命で、エネルギッシュであった。そして、私の在籍中もその後も第一線の研究成果を出し続けていた。

1年以上すぎてコールドスプリングハーバーで開催される学会に行った際、RobinにReed研に参加した当時のことを聞いてみると、私はどうやら人違いで受け入れられたらしいことがわかった。どういうことかを詳しく聞いてみると、私が留学希望のメイルをする少しほど前に、学会でRobinと話した日本人がいて、Reed研への留学を希望していたそうだった。Robinはいきなりメイルした私をてっきりその人物と思ってすぐさま返事をしたというのが真相であった。道理でReed研にきてもいいという話が早かったはずである。Robinと初対面した時には私のことを「彼は誰」と思っていたのではないかと思う。実際、Robinは他のポスドクに学会で話をしたのは彼だった?と聞いていたそうである。そのポスドク曰く、「違うよ」。Robinはずいぶんびっくりしたことと思う。

色々と誤解を受けやすいキャラだったと思うけれどRobinはいつでもRobinであった。とても残念なことに新型コロナで亡くなってしまったけれど、いつでも積極的に前に進んでいく強いPIであった。

 

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