アメリカでの就職活動

投稿者 藤井 耕太郎(University of Florida)

2020年の12月にUniversity of Floridaにて研究室を開設させていただくに至りました藤井といいます。今回は甲斐田さんに留学とJob searchについての寄稿をお声がけ頂き、会報に載せて頂きました。甲斐田さんとは2009年にWisconsinで開かれたRNA学会に参加した際に知り合いました。その際に「留学どうですか?」と質問したところ「すっげぇ楽しい」と答えられたのが非常に印象に残っています。実際に初めてのRNA国際学会はとても楽しく、世界ではこんなにダイナミックに色々な研究が行われているのだと非常に感動したのを覚えています。今思えばそこから海外を意識し始めたように思います。ぜひ博士課程の学生さんは国外で行われる国際学会に一度は参加することを強くお勧めします。

ポスドクとしてアメリカへ

僕は生き物を知るなら、最小単位で生物として成り立っている単細胞生物がどのように恒常性を保っているのかを知りたいと考え、学部生時代には東北大学で山本先生、布柴先生のもとで酵母菌を用いてDNA修復の研究を行い、大学院では京都大学で大野先生、北畠先生のもとで同じく酵母菌を用いてリボソームの品質管理を研究しました。細胞内で機能を失ったリボソームがどのようにして認識され、分解されるか、その分子機構の一端、偶然にもDNA修復の因子が関わること、を明らかにし、博士号をいただきました。余談になりますが、リボソームの品質管理機構はMelissa Moore博士のグループが発見し、同時期に発見していた北畠さんを筆頭とする僕らのグループは彼女らとしのぎを削る競争をしていました。フロリダでMelissa Mooreが主任研究者を務めるModernaのRNAワクチンを打つ際にはRNA研究の成功産物として嬉しく、感慨深いものを感じました。

ポスドクでは単細胞生物ではなく多細胞生物を用いて、一細胞から哺乳類の複雑な身体が作られる胚発生の過程を研究したいと考えていました。そんな中、特定のリボソームタンパク質を含むリボソームが発生に重要であるHox mRNAの翻訳に必要であることを示す論文がCellから2011年に発表され1、その論文の最終著者であるMaria Barna博士にポスドクとして研究したいと直ちにメールを出しました。San Franciscoにインタビューを受けに行き、Mariaからフェローシップの獲得を条件に来ても良いと言われました。何とか上原記念生命科学財団からフェローシップを頂き、2012年から留学しました。Mariaは当時カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)のヤングフェローと言う立場で、僕はBarna研究室のかなり初期のポスドクでした。留学して一年も立たないうちにMariaはStanford大学でポジションを獲得し、研究室も移動しました。Stanford大学はアメリカでもトップを争う大学でMariaもテニュアの審査ではずば抜けた結果を要求されるため、ポスドクに対しても非常に厳しく、プレッシャーも強かったです。なので「とにかく苦しかった」、けれどもサイエンスのアウトプットとしては、リボソームや翻訳段階が胚発生過程でのダイナミックな遺伝子発現にどのように関与し、制御しているか、また進化の過程でリボソームがどのように変化をし、タンパク質合成にどのような影響を与えて来たのか、といった生物の本質を洞察する非常に面白い仕事をできたと思っています。Barna研究室には週末も夜も常に誰かがいていつでもディスカッションができました。研究室では僕は圧倒的に英語ができなかったのでその分はハードワークで補うようにしていました。非常に大変で観光もほとんどできませんでしたが、今となっては良いポスドク時代でした (写真1)。


写真1. コロナ禍でのオンラインお別れ会を開催していただきました。左上がメンターのMaria Barnaその横が筆者。

アメリカでのJob search

アメリカでは優秀な人はNature, Science, CellのいわゆるTop journalから論文を出して3-5年くらいでポジション獲得に動き出します。8年間ポスドクをするというのは非常に長いです。僕はポスドク5年目の2017年の1月と6月にやっと第一著者としてNature CommunicationとMolecular Cell を出すことができ2,3、そろそろ次を見つけて出て行きたいと考えました。この段階ではMariaにまだpublicationが弱いのではないかと言われていました。すでに進んでいる酵母菌を使ったプロジェクトがあったので、そちらも進めながら10個ほど応募をしました。しかし、どれも書類選考の段階で落とされてしまいました。今となれば当時のアプリケーションの書き方など他の部分も全くダメだったのですが、当時はpublicationが足りないと考え、進めていたプロジェクトに集中しようと考えました。その結果、何とか2018年付けでMolecular Cellから発表することができました4。このMolecular Cellの論文は博士課程で用いたコンストラクトを応用して、今まで機能が解っていなかった、進化の過程で真核生物のみが獲得した特異的なrRNA領域が翻訳の正確性を上げる役割を持つことを明らかにしたもので、自分が一から考えた研究が形になったので非常に嬉しかったです。

これら三つの第一著者の論文を武器にもう一度アプリケーションを練り直し、2019年のジョブマーケットでは30以上のポジションに応募をしました。その中から5つほど連絡をいただき、オンラインインタビューへと進みました。このいわゆるSkype interviewが僕には非常に鬼門でした。大学ごとに形式も異なり、うまく自分の研究、自分自身を売ることができませんでした。アメリカ人でもここを苦手とする人もいるようでした。出来るだけ色々な人と事前に練習をしておくことをお勧めします。オンサイトインタビューでは今までの研究発表とチョークトークと呼ばれる未来の研究室での研究プログラムを発表する予定になっており、両方を準備するのに1ヶ月以上かけました。Mariaも含めて僕の研究を理解している研究室の人たちに何度も発表を聞いてもらい、さらに僕の研究をあまり知らない方々にも聞いてもらうため、所属している学科のメールリストに流してそれぞれの発表を2回行い、都合のつく教授、ポスドク、学生の皆さんに聞いていただきました。これらの発表練習や質問に答えていく中で発表も将来の研究プログラムも非常に洗練させていくことができ、手伝って頂いた皆様には感謝してもしきれません。

On Site Interview

飛行機が遅れるなどの問題はありましたが、インタビューは、飛行場にファカルティーサーチのチーフの方に迎えに来て頂き夕食を取るところから始まりました。翌日は朝食をファカルティーと一緒にとり、研究発表、学生やポスドクと昼食を取り、最後にチョークトークをしました。さらに、それぞれの間にファカルティーと一対一でディスカッションをして、最後に夕食を一緒に食べて終わりました。非常に濃く、短い1日でした。インタビュー前日のホテルでは緊張でほとんど寝られませんでした。発表も非常に緊張しました。しかし、インタビューのプロセスは思いの外楽しく、それが表に出ていたことがインタビューのうまく行った理由の大きな部分を占めているように思います。

オンサイトのインタビューで求められるものは日本もアメリカも基本的には同じだと思います。学生、ポスドク、教授、様々な立場や研究分野の人が混じった聴衆に対して分かりやすい発表ができ、議論できること。また、他のファカルティーに会う時には研究室のボスと話すときの態度とは異なり、自分のサイエンスを主軸とした上での対応を求められます。自分に何が出来るかをアピールして共同研究の案を提案してもそれは相手のサイエンスに依存し、自分の主軸が無いように受け取られます。インタビューの前に会う人たちのホームページや過去の論文、現在とっているグラントの目的を読んでおきましたが、会話の中で自然と出てくるコメントや疑問をもとに議論をしていくことが重要です。どのような状況でも同じですが、一人一人との会話に集中して『楽しむ』ということが最も大切なのだと思います。最後のチョークトークが始まる前にはすでにヘトヘトでした。チョークトークでは最初の5-10分と最後の5分で言いたいフレーズは決めていましたが、それ以外は話の骨格を作って、質問次第で柔軟に説明できるようにしていました。また、これは全ての発表で共通して意識していることですが、全ての質問をポジティブに受け止め、そこから議論を発展させるように答えるようにしています。相手の質問、発言に対してネガティブに捉えたり、敵対する意見として捉える人を雇うとは思えないのでサイエンスも重要ですが、それ以外も良い印象を持って貰えるように努力しました。その一つが夕食だと思います。アルコールを一杯程度飲んで (酔っ払わず) 楽しく会話をできることをアピールします。インタビューが2020年の2月の最後の週でしたので当然、コロナのことは話題に出ましたが、当時はこのように世界が一変するとは夢にも思いませんでした。自分から話題を提供することも重要です。僕は食事中だし、料理に関してサンクスギビングの時などにターキーを塩麹で1日熟成させることや豆腐の作り方などを話しました。熟成や豆腐はみんな興味があったり好きではあるけれども、自分でやる人は少ないので興味を持って聞いてもらえました。夕食の時に生活する上での心配事 (教育や安全など) に関して訪ねるのはちゃんと生活することを考えていることをアピールする上でも重要です。良いレストランのようでしたが、残念ながら料理の味を気にする余裕は僕にはありませんでした。

コロナ禍でのオファー獲得

インタビューの翌日にカリフォルニアに帰ったのですが、サンフランシスコ空港に着くと携帯に留守電が入っており、飛行場から電話をかけ直してセカンドヴィジットへの招待を受けました。大変嬉しかったのにそれを咄嗟に表現する語彙力が無かったのが残念でした。ところが、インタビューの翌週からカリフォルニアでのコロナの報告数が急激に増えていき、週末にはスーパーから冷凍食品が消え、僕たちもお米などを備蓄し始めました。インタビューから2週間後にフロリダ大学と話をしてカリフォルニアから訪問してもらうのは難しいだろうという話になり、Zoomを使って前回会えなかったDepartment ChairとDeanと面接をしましょうという話になりました。本来であればセカンドインタビューは家族全員で訪れて、住まいを紹介してもらうなど、現地での生活をイメージすることがメインとなるはずでした。さらに、Deanと非常に美味しい夕ご飯を食べたり、スタートアップの金額を交渉するなど、こちらとしては楽しみな話が待っているはずでした。人からは高級料理店でキャビアをねだったとか、高いワインを飲めるとかの話を聞いていたのですが、そう言ったことは全くなく、Hiring Freezeになってしまったので、本来ならばバーバルオファーのはずなのですが、今後のコロナの動きを見ていきましょうと言われて終わりました。当時はニューヨークがどんどんと悲惨な状態になっていたところでしたので、セカンドインタビューをしてくれただけでもまだ可能性はあると受け止めるしかありませんでした。

その後も、皆さんもご存知の通り、全く好転する様子はなく、むしろカリフォルニア州とフロリダ州がコロナの件数のトップ2で、Hiring Freezeが溶ける気配は全くありませんでした。そんな状況下でもフロリダ大学のLaura Ranum教授は粘り強くなんとかしようと僕を引っ張り続けてくれました。僕の家族が一度もフロリダを訪れたことがないことを心配して、Zoomでフロリダ大学の日本人ファカルティーを紹介してくださり、安全面や日本食品の手に入りやすさなど、現地の生活を少しでもイメージできるように手助けをしてくれました。ただしLauraもこんな状況でどうなるか分からないのでJob searchは続けた方が良いだろうと言っていました。僕も出来ることをやって行こうと思い、Industryの求人や日本のポジションにも応募をしました。また、何かのきっかけになるかもしれないと思い「さきがけ」の高橋教授が開かれている「多細胞」にも応募をしました。物事が進み始めたのは、その「さきがけ」の面接選考についての案内のメールを8月6日に受け取ったところからでした。「さきがけ」を海外から取るための一番のハードルはJSTと海外の大学でのお互いの同意 (特許や間接経費など) を取ることだと聞いていました。実際に、どれだけ同意が取れそうかを推し量るために七項目の質問に対する返答を大学のグラント担当と一緒に作成し、面接前に提出することが要求されていました。その七項目をStanford大学のグラント担当者に持っていったところ、七項目全てが簡単にYesと言えないと言われ、一蹴されました。フロリダ大学とは8月までほぼ進展がなかったので、これが最後のチャンスかもしれないと思い、Lauraに連絡を取り、状況を説明しました。面接の準備をしながら、Laura、JST、大学のグラント担当者とそれぞれ話し、なんと8月19日にフロリダ大学からOffer letterを頂き、すぐさま受理しました。そこから大学のグラントシステムに登録などをしていき、25日にグラント担当者からの七項目に対する返答をJSTに提出し、26日にさきがけの面接を受けました。非常にギリギリの綱渡りでしたが、何とかさきがけの面接も通りました (JSTとフロリダ大学の間の合意の交渉は2021年4月現在も続いています)。これだけ早くプロセスを進められたのはLuaraが非常に強く、素早くDeanなど決定権を持っている人たちを説得してくれたことに尽きます。面接に間に合うかどうかのギリギリの状況下だったのでオファーの内容に関して交渉する時間は全くなく、そのまま受理する形になりましたが、その内容は驚くほどに良く、安く叩いて買うのではなく、このような困難な状況の中オファーまで持ち込めたことがきちんと評価された内容であることを非常に嬉しく思いました。僕も短い時間の中でグラントの獲得のために最善を尽くしてくれたフロリダ大学を信頼し、困難を共に乗り越えた『この大学』で頑張りたいと強く思えました (写真2)。


写真2. フロリダ大学の筆者の研究室のあるCancer Genetics Research Complex (CGRC)

最後に

コロナのお陰で苦労した部分はありましたが、幸運にも何とかポジションを獲得することができました。現在は研究体制を整えようと忙しい毎日を送っています。なお、ポスドクを募集していますので興味のある方は是非ご連絡を下さい。僕の研究室では、多細胞生物の胚発生、老化や疾患といったin vivoの生命現象において、タンパク質合成の『量』および『質』がどのように時空間的に制御されているのか統合的に理解し、その生物学的意義や疾患への影響を明らかにしていきます。そのために、古市先生がいつもおっしゃられている「やってみなけりゃわからない (YMW)」という心構えで困難や新たなことに挑戦し続けたいと考えています。

つい先日ですが、博士過程の指導教官である大野先生が退職し、研究室を閉じるということを北畠先生から伺い、大野先生退官記念のオンライン同窓会に参加させていただきました。懐かしい方々のお顔を見ることができ、非常に楽しいひと時でした。大野研究室は僕にとって、アメリカにいても日本に帰国する度に立ち寄らせていただく大切な場所としてあり続けました。そのような還る場所がなくなってしまうのは不安でもあり、大変寂しくあります。大野研には修士、博士過程と学振PD一年の計6年間在籍し、当時は1日の大半を研究室で過ごし、サイエンスに没頭させて頂きました。23-29歳という青年期の遅めの時期を京都大学のウイルス研究所という歴史のある地で過ごしたことは僕にとって非常に大きく、そこで過ごした日々、全ての経験は今の僕を形作る財産になりました。大野先生にはサイエンスの面白さを教えていただき、さらに一端の科学者として育てていただき、感謝しかありません。本当にありがとうございました。これからは僕も研究室の主宰者として、サイエンスの楽しさを後進へと伝え、育てることができると良いと思っております。

1日でも早く日本にも世界にもワクチンが行き渡り、平穏が訪れることを願っています。

 

References

1. Kondrashov et al., Cell. 2011 Apr 29;145(3):383-397.

2. Fujii et al., Nat Commun. 2017 Feb 14;8:14443.

3. Shi, Fujii et al., Mol Cell. 2017 Jul 6;67(1):71-83.e7.

4. Fujii et al., Mol Cell. 2018 Dec 20;72(6):1013-1020.e6.

 

 

 

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