COVID-19からRNA研究者が学ぶこと

投稿者 廣瀬 哲郎(大阪大学生命機能研究科)

COVID-19が猛威をふるったこの4ヶ月の間、私たちの生活は大きく様変わりしました。映像に映し出される世界各地の危機的な様子を見ながら、何度となく「こんなことが現実になるとは」とつぶやきました。こうした事態は、昔愛読した小松左京のSF小説『復活の日』の中でしか起こらないはずでした。そこに登場するMM88ウィルスは、イギリス陸軍が軍事目的に開発した新型ウィルスで、それを盗み出したスパイの飛行機がヨーロッパ山中に墜落し、雪解けとともにウィルスの蔓延が始まり、半年後には地球規模で人類は壊滅的な状況に陥るという設定でした。もちろん人造ウィルスや人類滅亡といった設定は、小説の中だけの話です。今回のCOVID-19、武漢で現れた奇妙なウィルス感染症は、私たちが注視している中、SF小説の中で起こっていたことが、そのまま現実の脅威へと変わっていきました。この広がり方がなんとも不気味で、日々確実に拡大を続け、それまで対岸の火事であったものが、気がつくと自分たちのすぐそばにまで刻々と迫ってきました。COVID-19は、人を選ばず全ての人に脅威を与え、受け手の健康状態、生活習慣、知識、深刻さ、そして運などの要因によって個人の運命が決定されていきました。こういう状態になって初めて、私たちの社会とは、無数の取捨選択の結果生じた微妙な平衡状態で、それがどれほど脆弱であるかを思い知らされました。進化の淘汰圧が、突然私たちの頭上に迫ってきたような初めて体験する緊迫感でした。

COVID-19の嵐が最も吹き荒んでいた時期に、私は人生何度目かの引越をしました。2月末、まだ引越が現実味を帯びていなかった頃、北海道はとりわけCOVID-19のホットスポットでした。その頃の周囲の会話、「引越したら、さぞかし嫌がられるだろうね」「北海道から来たら学校でいじめられんじゃないか? 息子さん大丈夫?」、これらは十分不安を煽るものでした。しかし、しばらくすると北海道の感染は下火になっていき、一方で本州での感染が急増、そうすると周囲も「しばらく北海道にいた方がいいのでは?」といった風潮に変化し、「本当に引越して良いのか」と葛藤する毎日に変わっていきました。そして無情にも、引越の数日前には全国に非常事態宣言が発令されました。これで万事休すと思いきや、土壇場で意外な展開を見せました。感染リスクの少ない北海道から当時伸び盛りだった大阪への荷物の輸送は、運送業者としても、両大学事務としても「ダメと言う理由はない」(その逆方向は延期を余儀なくされたらしい) のでした。こうして、言われなき罪悪感を感じつつ引越を敢行、しかし研究室に荷物を収納することはできたものの、荷解きもままならず、ラボは長い休眠状態に突入し、その後容易に立ち上がることはありませんでした。

あれから3ヶ月、少しずつ日常を取り戻しつつあります。大学にも人が戻り、ようやく新しいラボも動き出しました。その間、COVID-19の脅威は皮肉にもこれまで困難だった様々な変容を否が応にも達成させてしまいました。身近なところでは、オンラインの会議やセミナーも慣れてしまえば便利・快適で、これまで一日費やしていた出張が今後半減するかもしれません。さらに大きなスケールの話では、もはや制御不能に陥ったと思われていた環境問題にもCOVID-19は大きく影響しました。これまでアジアの大都市を訪れるとiPhoneに“harmful”と表示され、改めて大気汚染の凄まじさを実感させられたものですが、今回の都市封鎖によって、なんとそれが夢のように消え去り「20年ぶりにインド北部の大都市から神聖なヒマラヤ山脈が見えた!」というニュースは印象的で清涼感さえ覚えるものでした。COVID-19は、私たちが忘れてしまったかつての風景を垣間見せることによって、これからの歩むべき道を再考する機会を与えているかのようでした。

こうしたCOVID-19による予期せぬ副産物は、ひょっとしたら私たちRNA研究者にももたらされているのかもしれません。今こそRNA研究者は、SARS-CoV-2 (CoVと略) RNAから学び、ポストコロナ時代のRNA研究へとつなげていく新たな可能性を模索できるはずです。少なくとも、RNA研究者にとってCoV RNAの姿は驚きの連続です。CoVにとって、正確で秩序正しい情報発現はさほど優先されないように見えます。多種多様な中抜けのウィルスmRNA達、これらはどのように作られるのでしょうか。RdRPによる転写が複数回スキップするのでしょうか、はたまたノンカノニカルなスプライシングが細胞質で起こることがありうるのでしょうか、さらにはRNAの品質管理機構を掻い潜ることは可能なのでしょうか。そして、たくさんの未同定なRNA修飾の正体は何でしょうか。また、何が細胞質でキャップを付加するのでしょうか (これは古市先生がご指摘済でした)。どのようにしてウィルスRNA達は集約されパッケージされるのでしょうか等々、興味は尽きません。最近、私自身の研究に関連するCoV RNAによる相分離体形成に関する論文がbioRxivに掲載されました。CoV RNAがコードするタンパク質による相分離誘導によって、RdRPによる転写/複製が隔離した相分離空間で効率よく行われるという内容です。多くのウィルスは、細胞内で秩序正しく行われていた生体機構を利己的にデフォルメして利用しており、ウィルスでの機構研究をきっかけとして細胞内の新現象の発見に繋がることが、これまでにしばしばありました。CoV RNAの無秩序で利己的な姿を眺めていると、この中にこれまで見落とされていたRNA機能が垣間見えているのでは、と思ったりします。RNAは、細胞活動の束縛から解放されたときにどのように振る舞い始めるのか? CoV RNAからそうした片鱗を拾い上げることができれば、ポストコロナ時代には新たな視点でのRNA研究が進み始めるかもしれません。この世の中に存在する無数のウィルスの中で、世界の研究者が総力を挙げて研究しRNA情報がこれほど引き出されたのは、今回のCoVをはじめ、ごくわずかなウィルスだけです。私たちRNA研究者は、こうして引き出されたRNA情報から我々にしか気づけないRNAの秘密を嗅ぎ出さなくてはなりません。RNA研究者としてなすべきことはやはりこの線かな、と私は思います。ポストコロナ時代に向けて、RNA研究者のセンスの見せどころです。