受賞によせて

岩崎信太郎 (理化学研究所 開拓研究本部)

理化学研究所の岩崎信太郎と申します。この度、RNA学会のご推薦をいただき、平成31年度文部科学大臣表彰若手科学者賞をいただくことができました。鈴木勉会長をはじめ、評議員の諸先生方、ご推薦いただきました先生方、書類準備を手伝ってくださった庶務幹事の伊藤拓宏さんに厚く御礼申し上げます。また、普段から共同研究をさせていただいているRNA学会内外の諸先生方、これまで同じ研究室で研究生活を共に過ごしてくれたラボメイトのみなさん、また現在の研究室のメンバーみなさんに支えられての賞だと思っております。自分が賞を受賞した、というよりもこれまで一緒に研究を共にしてくれた周りの皆さんのただただ名代として賞を受けとっただけだと思っています。みなさま本当にありがとうございました。

編集幹事の甲斐田さんから文章を書かせていただく機会をいただきましたので、これまで自分とRNA研究 (あるいはRNA学会の諸先輩方) との関わりを、取りとめなくではありますが書かせていただきたいと思います。

僕がなぜ最初にRNAの研究に触れたかというと、大学4年生の卒業研究の研究室選びに遡ります。なにか生命の一般的な原理原則を明らかにする研究がしたいなーと漠然に当時思っていたところ、同級生の宮本章歳くん (現京都大学助教) が「RNAがなんとRNA自身を制御して遺伝子発現を調節するRNAiというのがあるらしい」、ということを教えてくれました。それはとてもおもしろそうだ、と思っていたところ、ちょうど研究科にいらした渡邊雄一郎先生が植物でRNAiの研究をされており、学部四年生から修士課程まで渡邊研で、植物のRNAiとRNA分解の研究に携わることができました (写真1)。当時渡邊研でポスドクをされていた竹田篤史さん (現立命館大学教授) に特にピペットマンの握り方から、dataを批判的に見る、といった生物学の基礎的なところをトレーニングしていただきました。毎日3時になるとおやつタイムという行事があって、ラボメンバーみんなで生協にお菓子を買いに行くのですが、そこに間に合うように如何に効率よく実験を組むか、というマルチタスクの管理、みたいなことも合わせて?トレーニングさせてもらったような気がします。

写真1

写真1: 渡邊研時代。前列中央が渡邊先生、後列右から本瀬先生 (現岡山大学准教授)、竹田さん、筆者

修士になると、もっと分子メカニズムに迫る研究がしたい!と思うようになってきました。ちょうど同時期にRNAi反応をショウジョウバエのlysateで再現し、生化学的解析するという研究で華々しい業績を上げられていた泊 (幸秀) さんが東大分生研 (現定量研) に着任されて新しいラボをスタートさせる、ということを聞きつけました。当時はまだ修士2年生で中途半端な時期であったにもかかわらず、快く受け入れてくれた泊さん、また送り出してくれた渡邊先生の度量の広さに感謝するばかりです。研究の立ち上げ作業として、隣にある農学部のグラウンドの土まみれになっていたRI室を泊さんと二人で掃除したのは良い?思い出です (机を拭いて土まみれになった雑巾をみて、やるせない顔をしていた泊さんの表情は未だに覚えています)。

生化学の研究はせっかちな性格だった自分にはとても都合が良かったと言えます。また、当初は泊さん、川俣さん (現東工大助教) の3人だけだった (写真2) ので、いろんなdiscussionを密にできるとてもよい環境であったと思います。当時は小分子RNA複合体形成はlysateでのみ再現できている状況で、どのような因子が必要十分であるか、再構成可能か、ということは全くわかっていない状況でした。生化学の本質は「因子の単離と再構成」、ということもあり、小分子複合体の形成過程を精製した因子で再構成してやろう、ということを目指していました。なかなか、難しいprojectではあったのですが、とうとう精製した因子 (最終的には5つのシャペロンタンパク質群、Dcr-2/R2D2複合体、Ago2タンパク質、ATP、siRNA二本鎖という10因子) によって、再構成することができる、ということを突き止めることができました (https://www.nature.com/articles/nature14254)。これがうまくいった実験の結果を見た瞬間の驚きと喜びは忘れられません。当時のRIの画像を検出する機械は分生研の地下にあったのですが、早くdataを泊さんに見せたくて地下から泊研がある二階まで、階段をダッシュしたのをよく覚えています。アルキメデスが新発見をしたとき”Eureka!”と叫んだ、という逸話がありますが、まさにそんな気分になった瞬間でした。

写真2

写真2: 泊研初期メンバー。右から川俣さん、泊さん、筆者

泊研は居心地良すぎてなかなか別の研究室に移るのが億劫になってしまうのは泊研”あるある”なのですが、ポスドク先を見つけなければなりません。どうせポスドクやるのであれば、海外で、しかも周りにやってる人がいない技術を身に着けたいということを漠然と考えていました。そのころ次世代シークエンサーで翻訳を網羅的に定量するribosome profilingという技術が登場したころでした (https://science.sciencemag.org/content/324/5924/218.long)。論文を読んで感銘を受けた単純な僕は、これをやってみたい!と安直に思ったところ、この技術を開発したNick Ingoliaという人が独立したということを見つけました。さら彼がたまたま神戸理研にシンポジウムで来ていたことも相まって、Nickと直接会える機会があり、話をしてみるとポスドクとして受け入れてくれるとのこと。運良くアメリカで研究するチャンスに恵まれました。

写真3

写真3: ポスドク時代 左から3人目がNick

海外に留学するとまず言語の壁にぶつかるとは思いますが、これが必ずしもnegativeに働くわけでもない、ということが実はあります。僕のせっかちな性分としては、日本にいたらボスにdataをすぐ見せて、次こうしよう、というideaをもらってしまうところですが、英語で説明しないといけないこともあって一度頭を整理してどう伝えるか考える、というワンクッションがあります。そうこうしていると、Nickだったらこういうだろうな、とか自分がbossだったらどういうかな、という想像がついてきます。「うん、そしたら言われそうな実験を足してから見せに行こう」と、PIのトレーニングみたいなことが (勝手にですが) できたのがとても貴重な時間でした。これもNickがあまりprojectの進行状況を細かく聞きにこない、とてもpatientでrelaxした人であったことに由来します。彼が苛立っているのすら見たことはありません。

僕自身はRNA学会に育てていただいた人間の一人でして、毎回参加するたびに諸先輩方に激励の言葉をいただくのが常ですが、なぜかよく覚えているのが北海道大学の中川真一さんの言葉です。アメリカのIngolia labに留学に行く直前にお会いしたときは「日本に帰ってきて独立したいなら、一年目からすごいdata出さないと帰ってこれないからねー」と檄 (?) を飛ばしていただきました(以前このことを直接本人にお話したときは全く覚えてらっしゃいませんでしたが)。また、運良く理化学研究所に研究室を持てるチャンスがいただけたときも、「研究室がスタートして半年くらい以内に研究室が立ち上がらなかったPIの中には、ポスドクに戻っていた人もいるからねー」という話を伺って、身が引き締まったのを鮮明に覚えています。ただ中川さんはムチばかりでなくて、きちんとアメもぶら下げてくれて、僕が理研着任とほぼ同時期に中川さんが理研から北大に異動されるタイミングだったこともあり、機器類の多くをそのまま置いていってくださって(北大のラボにすでにあるから、ということだったのですが)、研究室をこれ以上ない順調さでスタートできたことは感謝してもしきれません。

改めて振り返ると自分の人との出会いに恵まれてきたということを実感します。RNA学会に鍛えられた人間として、今回の賞で多少なりともこれまでの恩を返すことができていたら何よりです。みなさま今後ともどうぞよろしくおねがいします。

このカテゴリをもっと見る 青葉賞受賞を経て »