アメリカ見聞録

黒崎辰昭(University of Rochester Center for RNA Biology)

はじめに

アメリカニューヨーク州ロチェスター大学のリン マクアット教授(以下リン)の研究室(ラボ)にて、mRNA分解機構の一種である、Nonsense-Mediated mRNA Decay (NMD)の分子メカニズムを研究しております黒崎辰昭と申します。アメリカ生活も当初の予定では2-3年のつもりが、早いもので気づけば9年にもなってしまいました(新婚でアメリカに一緒に渡ってきた妻には、“話が違う!”と耳が痛いことをよく言われます)。そこまでアメリカは居心地が良いのかというと、必ずしもそういう訳ではないのですが、本稿では9年に及ぶアメリカ生活において僕が日々感じる、アメリカと日本の生活や研究環境の違いについて、ご紹介できればと思っております。特に今、留学を悩まれている方にとって、何か参考になることがあれば幸いです。

きっかけ

アメリカで研究をすることへの興味が芽生えたのは、大学院学生時代に遡るかと思います。当時僕は、東京大学理学系研究科生物科学専攻の植田信太郎教授の下、RNAとは全く無縁の分野である、進化生物学やゲノミクスを専門に、ヒトとそれと近縁な霊長類数種のゲノム配列を比較し、分子レベルで霊長類進化を明らかにすべく研究を行っておりました。アメリカ主導で2003年に完了したヒトゲノム計画と、次々と明らかにされる様々な生物種の全ゲノム配列を前に、アメリカという国に対し漠然と畏敬と憧れの念を抱いておりました。そんな中、修士論文の提出期限も差し迫り、研究の進捗もそして僕の精神状態も大分煮詰まっていた頃だったと思います。とあるアメリカのラボから研究サンプルを提供してもらった際、そのサンプルの入っていた封筒にデカデカと書かれていた“Enjoy!!”という文字に、アメリカでの研究は“苦労する”ものでも“歯を食いしばって頑張る”ものでもなく、“Enjoyする”ものなのだと、大きな衝撃を受けたことを今でもよく思い出します。

博士課程修了後、大学院学生時より共同研究にてお世話になっておりました、名古屋大学医学系研究科神経遺伝情報学分野の大野欽司教授、松浦徹准教授(現自治医科大学内科学講座神経内科学部門教授)の研究室に博士研究員(ポスドク)として加えていただき、遺伝性神経-筋疾患の一種である、脊髄小脳変性症10型並びに筋強直性ジストロフィー2型の原因遺伝子のゲノム解析と、それらの分子メカニズムに関する研究を始め、僕はそこで初めてRNA biologyの分野に関わることになりました。大野先生、松浦先生共に、以前にアメリカで長い間研究を続けておられましたので、両先生方のアメリカ談話を常々耳にするうちに、アメリカ研究生活へのイメージがより具体的になり、アメリカという国がぐっと身近になりました。何よりも僕にとってはそれまで全くの未知の分野であった、RNA biologyに触れることのできた2年弱に及ぶ名古屋での研究生活は、毎日がとても刺激的で、次は是非ともアメリカで、RNAの研究がしたいという思いが確固たるものになったような気がします。

研究留学までの経緯

アメリカでRNAの研究とはいったものの、当時の僕は、RNA biologyの実績はおろか、基本的な生化学、細胞生物学の研究実績もほぼ全くありませんでした(もちろん履歴書(CV)には自信をもって経験ありと書きましたが…)。こちら側から留学先を選択できるに足る十分な業績と能力が自分に備わっているとは到底思えなかったので、見様見真似でアプリケーションレターを書けるだけ書き、CVと共にメールで片っ端から送りつけるという、今思うと何とも無鉄砲な作戦に出ることにしました。今見返すと恥ずかしくなるような、何ともぎこちない英文レターだったのですが、とにかくこちらの研究に対する情熱だけは相手に伝えようと意識して書きました。30-40通はメールを出したと思いますが、その内2つのアメリカのラボから実際にインタビューをしてもいいというポジティブな返信が返ってきました。

その内の一つがスプライシング研究で有名なカルフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のダグラス ブラック教授で、もう一つがロチェスター大学のリンでした。UCLAまでは実際に赴き、現地で研究セミナーと面接を行いましたが、結局採用してはもらえませんでした。初のアメリカでのセミナーとあって、自身の拙い英語にばかり気をとられ、思うように自分の考えや研究の抱負を伝えられなかったことが原因だったと推測しております。一方リンの方は電話インタビューという形になりました。UCLAでの苦い経験を元に、今度は英語の拙さはあまり気にせず(かなりのBroken Englishであったと思いますが)、とにかく自分の考えと研究への情熱を表現することを意識してインタビューを行いました。幸いにもリンの研究室に、ちょうどタイミングよくポスドクの空きができていたこともあり、インタビュー後すぐに採用のオファーをもらいました。こちらでは新しいポスドクの採用には、ボスだけではなくその他の研究室メンバーも加わり、一緒になって決断を下すことが多いのですが、採用する側の立場になって初めて分かったのですが、ポスドクの採用基準に英語の巧拙が評価基準になることはほとんどありません。一番はやはりその人の将来的な可能性、すなわち研究に対する情熱であり(もちろん実績はあるに越したことはありませんが)、こちらに伝えたいという意思があるならば、(拙い英語でも)相手は必ず耳を傾けてくれるということを学びました。

リン マクアット教授

ポスドク先としてリンのラボに決まったは良いのですが、恥ずかしながら正直なところ、彼女がNMD研究のパイオニアであるという事実以外、当時の僕はほとんど何も知りませんでした。そこでポスドク採用が決まった後大急ぎで、彼女のラボでこれまでなされた数多くの論文を片っ端から読む作業を始めました。しかしながらこの作業はすぐに躓くことになりました。一言でいうと、やってることがとにかく細かくマニアックすぎて、RNA biology初心者の当時の僕は、全く内容が理解できなかったのです。

研究室でのリンは非常に密接なコミュニケーションを好み、マクアットラボにおける研究計画は、細部まで綿密で厳格であると思います。彼女のラボ運営はアメリカの他の研究室と比較すると特異的で、そこで生き抜くには、第一に打たれ強いことと、次いでハードワークが必要になります。また彼女の研究ビジョンは常に大きく、それに比べ僕の研究視野はとても狭く、単なる自己満足でしかないとよく批判されます。論文には大きく分けて、大体大筋が予測される実験の観察結果を淡々と記載するものと、仮説と得られた結果を基に新しい理論を提唱するタイプのものがあると思いますが、リンが好むスタイルは主に後者であり、それにはメカニズムの理解が重要だと主張します。このメカニズム第一主義が、僕が当初マニアックだと感じていた本質でもあり、もちろん新しい理論(メカニズム)の提唱は、その後の研究の進展により覆ることもあり、僕はそれをリスクと感じてしまうのですが、彼女はそれに恐れを抱くどころか、楽しんでいるようにも見えます。研究視野に関して、僕が今こだわっている問題が、誰も気に留めないほどの些細な問題なのか、それとも誰もが知りたがっている熱い問題なのか、その見極めは依然として難しい課題でもあるのですが、彼女が言わんとしているのは、常にアンテナを張り巡らし自身のアイデアを自問自答する姿勢と、その分野の幅広い知識が重要だということではないかと思います。

マクアット研究室

リンは常に自分の目が行き届く範囲の、総勢10名くらいの小さなラボを好み、その8割位がポスドクで占められます。理由は学生よりポスドクの方が即戦力であることと、異なる専門分野、価値観をもった多様なメンバーを編成できることにあると考えられます。多様性は一般的にアメリカ社会においても重要視されておりますが、新しい視点を生むことや様々な問題に適応しうるという点において、重要な要素ではないかと感じます。全体的な特徴として、日本人を含めアジア人は、一般的にハードワーカーでまじめにコツコツ働くのですが、口下手なことが多く、一方で欧米人は仕事量は多くないですが、概して口達者です。欧米人の研究スタイルに、理屈ばかりで実が伴わずと苛立ちを覚えることもありますが、時に理屈の方が重要な場合もあるので、どちらのスタイルが良いのかは分かりません。リンはその辺のバランスを考えて、うまく研究室を編成しているようです。ちなみに日本人は文化的に、実を重視し、理屈や言い訳を嫌悪する風潮にありますが、アメリカでは一般社会でも理屈が常に重要視され、子供の頃より理屈を述べる訓練が学校でなされています。実はこの理屈をこねることこそが、サイエンスをする上で日本人に最も足りない要素なのではないかと思ったりもします。

アメリカの生活と文化

僕がアメリカで常々感じるのは(これは研究のみならず一般生活においても全般的に言えることなのですが)、こちらから何も発しなくとも何不自由ない高品質サポート体制が整っている日本とは違い、アメリカではこちらが何かを積極的に発しなければ、全く物事(研究&生活)が進まないということです。特にアメリカでは、日本のような高品質のインフラストラクチャーが整っている確率は極めて稀ですから、一々自身で対応しなければなりません。しかしながら例えば電気・水道・インターネット会社にクレームを入れようにも、電話を平気で30分-1時間待たせますし、色々な部署をたらいまわしにされた挙句、一切の謝罪もなく最終的に“自分は担当ではないから分からない”と、にべもなく対応されたりします。アメリカ渡航当初はこのアメリカの“不便利さ”にずいぶん苦しめられました。

一方で、このアメリカの“不便利”な環境が、逆にアメリカの文化的素養となって、“自分自身で考えやりくりする”ことや、“互いに協力して無いものを補う”こととして、この国の強みとなって表に現れているような気がしてなりません。こちらに来て、生活から研究の隅々に至るまで、まずは自分自身で調べ上げ問題に対応する事が癖として身についたような気がしますし、それでもどうしても最終的に分からない事は、色々な人に聞いて助けを仰ぐということにも繋がりました。こちらの人々は概して、小さい頃からスーパーヒーローに憧れて育っているためか、一般的に弱者に対し協力的であることが多いと感じます。例えば僕はアメリカ渡航後に幸運にも二児をもうけましたが、特に出産や子育てで本当に他者の助けを必要とする場合、日本の様な徹底した手厚さはないけれど、不自由さで困ることはほとんどありません。

留学について

留学することの意義とはなんだろう?自分自身の経験を今振り返って考えると、自分そして日本という国を客観的に知る良い機会だったのではなかったかと思います。日本にいる間は想像すらもしませんでしたが、アメリカに来て初めて日本のヒトとモノが、いかに世界で類を見ないほど総じて高品質で、多くの人に称賛され受け入れられる存在かという事を知り、日本人として誇らしく感じるようになりました。痒い所まで手が届いたきめ細かな品質と、ひたすら便利さを追求し徹底されたサービスに、自分がどれほど恵まれた環境の中でこれまで時間を過ごしてこられたのかと、その幸運を噛みしめざるを得ません。しかしながらそれと同時に、この徹底された便利さが、逆に私達から知らず知らずのうちに可能性を奪うことになってはいないだろうか、と時に一抹の不安を感じることもあります。例えば、日本ほど科学専門書が自国語に翻訳され、販売される非英語圏の国を僕は他に知りません。

最後に

留学か国内か。このような選択で悶々と悩まれている方も少なくないかもしれません。海外での研究生活は全く未知の世界で、自分が果たしてどこまでできるのか、当然不安が多いことと思います。個人的な意見として、留学して初めて感じることになる社会的弱者としての視点も、その後の人生に幅を持たせるという意味で、一つの良い経験なのではないかと思っています。しかしいずれにせよ改めて思う事は、日本の教育、研究レベルは世界屈指であり、日本は間違いなく世界で一番暮らしやすい豊かな国だと、これは自信をもって断言できます。僕はこれまでの9年間、数えきれないほど苦しく辛い思いを経験してきました。それでも挫けずにやってこれたのは、日本という誇るべき母国の存在と、恩師や友人、そして家族のサポートがあったからです。そのすべてにこの場をお借りして厚く御礼申し上げたいと思います。

 

写真1
写真1|リンのオフィス。毎週月曜朝はここで、熱い議論が交わされる。(Rochester Medicine 2018より抜粋)

 

写真2
写真2|日常のラボ風景。ラボでこんなににこやかな顔で話しかけてくれることは、そんなに多くない。(Rochester Medicine 2018より抜粋)

 

写真3
写真3|ホームパーティー。たまにラボメンバーを招いて、このようにホームパーティーを開いてくれる。

 

写真4
写真4|ガードナー国際賞受賞セレモニー。NMD研究のパイオニアだけあって、最近は国際的に著名な賞を受賞することが多い。