暑い夏。プールでひとしきり泳いだあと冷房のきいたリアシートに身体を沈める。だるさと火照りと冷気が相まってなんとも心地よい。——RNA2016の最終イベントであるダンスパーティーが終わり、戻ったホテルの部屋に入った瞬間、そんな記憶がふとよみがえった。長らくの緊張でこわばったままの身体と神経に、お疲れ様、もうリラックスしてもいいよ、と伝える。すると、ためらいなく、素直に徐々にひとつひとつの細胞が弛緩しはじめる。子どもの頃読んだ物語に、大きな木の周りをぐるぐる回ってバターになったトラがいたっけ。そして、確かパンケーキになって主人公に食べられてしまった。そんなこともふと、憶いだされた。幸いにも、私の目の前には空調でちょうどよい具合にひんやり冷えた、上質なベッドがあり、そこに倒れこむことによって完全融解は阻止される。
2014年の秋、RNA Societyの3匹のおっさん、ではなかった、3名のVIP(Jim McSwiggen、David Lilley、Andrew Feig)が来日した。その前年、Board Meeting においてRNA2016の日本への招聘が決まり(慶応の金井昭夫さん、ご苦労様でした)、会場を視察するためだ。日本RNA学会(RNAJ)との合同年会ということもあり、当時会長であった私と副会長の鈴木勉さん、RNA2011の組織委員を務めた塩見春彦が視察に同行することになった。行き先は京都国際会議場ICCKと神戸国際会議場KCC。どちらも我々一行を熱烈歓迎してくれたが、海外からの訪問者の京都愛は根強く、僅差でRNA2016の開催はICCKに決定した。
RNA Societyの年会担当David Lilleyが、「RNA2016の組織委員長はMikiko」だという。What? Pardon me?? DavidとはRNA SocietyのBoard Meetingで出会ったことはあるし、会えば挨拶もする。短く会話をしたこともあったかも。が、それまでだ。研究領域も異なる。全くの不意打ちだった。JimもAndrewも、事前の打ち合わせがあったのだろう、異論なし、という感じである。これはまずい展開になった、と、一人焦る。彼らを説得するための言葉を一生懸命に探し出し、発してはみるものの、効果はない。心の中で地団駄を踏んでも、もちろん察してはくれず。窮鼠、猫を噛みたいが、噛み方が分からない。と、横に座っていた鈴木さんがそっとつぶやく。「美喜子さんがすればいいよ。僕、サポートするから。春さんもいるし」。言い方はいつものように柔らかく、淡々としているが、真剣味が感じられた。塩見に目線を移すと、彼も「そうしたらいいよ」と背中を押す。四面楚歌ならず、五面楚歌。万事休す。FIN。観念するしか道はなかった。
ここで逃げられてはなるまいと、その場で鈴木さんとDavid Lilleyに組織委員となることをお願いした。続いて、Utz Fischer、Wendy Gilbert、Erik Sontheimerをメンバーとして招待することに合意した。研究領域のみならず、地理的にも、男女比も年齢分布も申し分ない。皆の快諾も得られ、こうしてRNA2016の組織委員は誕生した。
組織委員内でやりとりしたEmailの数は凄まじい。それに対し、組織委員が一同に会したのは、2015年6月(RNA2015 in マジソン)と2016年4月(東京)の計2回である。旅費が馬鹿にならないから致し方ない。マジソンでは、HPのデザイン決定やセッションおよび座長候補者の選出、今後のスケジュール、そして分担を共有し、合意しあうことが主目的であったのに対し、東京での会議は、セッションとワークショップの演者を確定することがミッションであり、多くの時間と慎重を要した。朝早くから夜までJCSの小会議室に缶詰になり、ランチのために外に出る時間も惜しんで行われた。2016年3月、シアトルのMary McCann(Simples Meeting)から刻々と報告される口頭発表要旨の投稿数は、締切りまでの数日でスカイロケットの如く上昇し、最終的に400を超えた。この数字に狂喜したのも束の間、東京での会議では頭痛の種ともなった。一人の発表時間を10分プラス質疑2分と極力抑えても、400の中から170程しか採択できなかった。PIや地理的な偏りはないか、Societyと日本RNA学会のバランスはよいかなど、要因を考慮しつつ、要旨を選んだ。必要とあれば、各セッションの座長とも時差を無視してE mailでやりとりし、最終判断を下した頃は、全員、心身ともに消耗していた。それでもチームワークの良さは遺憾なく発揮され(そして鈴木研の石神さん、サポートありがとうございました)、ほぼ予定した時刻までにRNA2016のセッションを確定することができた。
私の一番の懸念事項は、参加者数だった。RNA2011の参加者数は1,000名強。その開催が、東日本大震災、そして福島原発の爆発のほんの数ヶ月あとであったにもかかわらず、だ。Societyで長い歴史をもつsplicingやtranslation、関連因子の構造解析、RNA化学などに加え、昨今はnon-coding RNAにも大きな興味が寄せられている。医薬、創薬という視点にもこれまで以上に重きをおくことにした。こういったことを考慮して、RNA2016の参加者数は、1,000は切らないようにと願った。その数を予定して参加登録費の金額も算出した。Societyの年会は食事を提供する。最終日のバンケットも含めてだ。欧米の学会ではむしろこのやり方が一般的であるが、日本の学会では珍しく、どうしても参加登録費は割高に映った。消費税も5%から8%に上昇している。学会の成功は参加者数によって大きく左右される。よって、参加者数に関しては、終始心配し続けた。先に述べたように、口頭発表要旨の投稿数は400と少し。つまり、それを締め切った3月中旬の時点ですでに少なくともそれだけの参加を見込むことができたため、ちょっとしたリリーフにはなったが、最後まで気は抜けなかった。が、小心者の私の気持ちをよそに、最終的には1,100を大きく上回る数字となった。特に、海を超えた参加者の伸びが素晴らしく、900との報告を受けた。参加登録がオープンの頃、円安だったことも幸いしたかもしれない。鈴木さんとは「よかったね、ほっとしたよね」と、心の底から言いあった。
懸念事項はもう一つあった。言わずと知れたFOOD、そう食事、だ。会う人ごとに念を押された。誇張ではない、文字通り、だ。RNA2011の苦い経験から学ぶべきことは学んでいたし、数回にわたるICCKとJCSとの綿密な打ち合わせのもと、細部にまで注意を払うことができた。実際、会期中は大きな騒動も無く、確認のため歩き回った範囲では、食事風景は平和だった。SocietyもRNAJも、その年会の参加者の平均年齢は比較的低い。つまり、若者の割合が高いということで、若者は食べる。「とにかく量を確保する」というのがいつしか合言葉となり、それは実践された。果物は、もっと種類を、と希望したが、いかんせん日本は果物が高い。結局、海外の学会で経験する山積みのリンゴやオレンジを再現するには至らなかった。1日目の日本スタイルのランチはとても評判が良かった。2日目はウエスタン風ランチボックスを希望した。開けた瞬間、小麦粉の割合の高さに、一瞬、目が点になった。その日は朝も甘めのパンをひとつ急いで口に放り込んだだけだった。かなり空腹であったにもかかわらず、結局、そのボックスを空にすることはできなかった。が、まあ、これも愛嬌ということで。次回、Societyが来日するまでの宿題と思えば、張り合いもある。
7月2日、RNA2016は非常なる盛況のうちに閉会を迎えた。ここで言及するまでも無く、Keynote、口頭、ポスターに限らず、いずれの発表も素晴らしく、議論も活発に行われた。Coffee Breakでは、人々はホワイエに集い、旧友や昔の同僚、先輩、後輩、メンターとの再会を喜び、話に花を咲かせた。期待通り、RNA研究をさらに加速する効果だけでなく、新しいアイデアや共同研究が生まれるきっかけになったのではないかと思いを巡らす。RNA2011にはなかったが、今回は思い切って半日の自由時間も設けた。その分、発表数が減るのは避けようもなかったが、大きな出資とともにはるばる遠方より来ていただいたので、少しでも日本の、そして京都の良さを楽しんでほしいという願いからである。もれ聞こえる話から、これは結構良いアイデアであったように思われた。しかし、7月1日の午後は異常にむし暑かった。15時の今出川烏丸。炎天下、となりに立っていたDavid Lilleyが、冷えたBeerはどこだ、とひとりごちる。私も!と心の中でつぶやくが、ここで飲むと歯止めが利かなくなるのは目に見えていたので、ぐっと堪えてきこえないふりをした(Sorry, David)。
先週、大学院生向けのセミナーを依頼され、女性研究者のキャリアパスに関して話をすることになった。ちなみにRNA2016での女性による口頭発表はどれくらいだったのだろうと、要旨集を棚から引っ張り出してパラパラめくった。名前からは性別を判断しにくい場合もあったが、大体3割だということが分かった。RNAJからはどれくらいかな、と焦点をしぼって再度調べた。そして驚愕した。なんと、その数は0だった。座長も0。これは、かなり、まずい。反省することしきりである。次回、Societyが来日するのはいつのことか分からない。が、誰が組織委員になろうとも、これだけは絶対忘れないでいてほしいと心より願う。
このように、反省点もいくつかあるが、会は全体的に素晴らしかった。サイエンスだけではない。バンケットでの本物の舞妓さん・芸妓さんの日本舞踊、唄に三味線、チャンバラ。そしてDJ・音楽を御担当いただいたJazztronikこと野崎亮太さん。いずれも国内外を問わず、多くの参加者に期待以上に喜ばれた。さて、これらパフォーマーは、一体何人の年会参加者達と何枚の写真に収まったのであろう。学会が終わった今、それら一枚一枚の写真は、地球上に散在しているといっても過言ではないだろう。笑顔に溢れた写真を眺め、今なお、良き思い出に浸っている人も少なからずいるのでは、と想う。そして、そういった思い出が、個々の実験の、ひいてはRNA研究の促進剤となっていると非常に嬉しい。もし、本当にそうであるならば、思惑どおりである。「よく頑張りました」と自分を褒めるexcuseにもなる。
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1,200名が集う国際学術集会の成功は、生半可な準備と心持ちではもたらされません。多くの方たちの協力的な、そして献身的なサポートがあってはじめてそこに到達することが出来ます。RNA2016におきましては、Keynote発表者であるShigeyuki Yokoyama、Rachel Green、Brenton Graveley、Kiyoshi Nagai、Yigong Shiをはじめ、全ての参加者、口頭・ポスターの発表者、各セッションおよびワークショップの座長、RNA SocietyおよびRNAJの役員および会員、JCS、ICCK、グランドプリンスホテル京都、JTB、Simples Meetingの関係者の方々に心より感謝致します。また、御賛助、御寄附いただきました企業、モーニングおよびランチオンセミナーのスポンサーと講演者、ポスターおよびウエブサイトのデザインをしていただきました高須賀由枝さん、裏方として力を発揮してくれた塩見研究室メンバー、RNAJのRNA2016準備委員、そしてプラハ(RNA2017)での再会を誓いあった、素晴らしい仲間であるRNA2016組織委員、最後に、長きにわたり精神的に多大にサポートしてくださいました鈴木勉さんと塩見春彦に心より感謝します。
写真 RNA2016 organizers
左から二番目より順に、Utz Fischer (University of Würzburg)、塩見美喜子(東京大学)、David Lilley (University of Dundee)、Erik Sontheimer (University of Massachusetts)、Wendy Gilbert (MIT)、鈴木勉(東京大学)。左端は京都先斗町の芸妓さんのもみ福さん、右端はもみ蝶さん。