東京に移ってくる前の約9年間、私は徳島に居ました。娘は小学3年生までここで育ちました。海もあり、山も河もあり、とても住みよいところでした。蓮根畑やイモ畑が広がり、大きな公園があちこちにあり、BBQをどこでやっても怒られない、おおらかな、そして、夏には自転車で海水浴に行ける、しかも、阿波おどりがある、小さな子供を育てるにはとても良い街です。また、始めて出会ったにもかかわらず既に十年来近所付き合いをしてきたかのような話し方をする人が多くて、むしろ、最初、戸惑ったほどです。言葉にもなかなか味わい深いものがあります。たとえば、魚の幼児言葉は、ビンビ。また、漏れる、溢れるをマケルと言います。子供が「おしっこもれそう!」という場合、「おしっこマケル!」とか言います。また、ご飯などが碗にあふれこぼれそうなほど‘山盛り’の場合、マケマケと言います。
最近、週刊誌を讀んでいたらエリザベス・ホームズさん(Elizabeth Holmes:医療検査会社Theranos社の創業者、第二のジョブズと言われていた人)の話が出ていた。この人は「アメリカのオボカタさん」と呼ばれているらしい。彼女に関する筆者の結論は以下の様なものです。
ホームズは技術を完成させることよりも、著名人を役員に並べたり、外側を虚飾することばかりに集中した。特にホームズが「タートルネックを150着持ってる」と言ったとき、こいつは信用できないと世間は気づくべきだった。洗濯すればいいから150はありえない。こういう風に数字を盛る奴を、筆者は一切信用しない。「キン肉マン消しゴム100個持ってる」と同じだから。
町山智浩 週刊文春 2016.6.16
世の中には、150だとか200だとか数字を目一杯盛る奴、つまり、マケマケの人がいるものです。捏造であることを示した多くの証拠に対して、マケマケの人は有効な反証を提示できず、捏造であることがほぼ確定し、それが覆ることはありえないにも関わらず、あれこれと理屈をつけて、頑張り続ける。そして、捏造者とその擁護派達は少しでも似たような論文が出れば、自分の実験が再現できないことは棚に上げて、あたかも自分の研究成果の正しさが証明されたかのように騒ぎ立てる。戦後最大の「偽古文書」に関するルポルタージュである『偽書「東日流外三郡誌」事件』(斎藤光政)にこんなことが書いてあります。
「偽史」の魅力は、何よりも、こんなことがあったらおもしろかったのにという深層心理をついて、その願望に敵う代替的歴史を提示するからである。
このルポルタージュによると、偽書であることの追求が強まると、次に出てくるのは「イジメ」問題のようです。偽書作者とその擁護派達は本人または家族への「イジメ」を問題にし始める、つまり、論争の相手や問題を報道するマスコミに対して、論点をすり替える、さらには、イジメの存在を口にし、発言や執筆を制限しようとするようです。Ring a bell!———最近、オボカタさんに「あなたがされたことは、いじめですよ」と言ったと伝えられている瀬戸内寂聴さんは、かつて、自身の文学作品が「ポルノ小説」と批評家たちに酷評され、世間から厳しくバッシングを受けて、文芸誌から干された過去があるとも伝えられている。でも、研究者と小説家は「程度」の違いの関係ではないのだから、これを強調することはまさに論点のすり替えです。最近、高層集合住宅に暮らす子供たちに高所平気症が増えてきており、これが高層階からの転落事故に繋がっていると言われています。マケマケの世界で成長してきた子供たちの中にはマケマケへの恐怖を感じないまま大人になってしまう人がいるのかもしれません。
論文に関するかぎり、倫理を教えてくれるのは恐怖で、善良さなどではない。この厳しい世界で競争相手が嘘を見破るのではないかという恐怖心が倫理を守らせるのだ。
Kathy Barker 『アット・ザ・ヘルム』(監訳 浜口道成)
写真の石は徳島の山奥の谷川で拾ったものです。紫がかった斑模様が美しい。また、カタチが蛙に見える。石は触って水をやる、つまり、可愛がると“いい感じ”になるそうです。「水石」という石愛好家達の一分野もあるとか。遠くに海を見ながら、石に水をやる、なんていうのも良いかも。
(2016年7月)