アメリカでの研究留学は1年半過ぎ、そろそろ論文が欲しい時期です。私は現在、Yale大学Dieter Söll研のポスドクとして、タンパク質を構成するアミノ酸のうち、システインとセレノシステインの遺伝暗号システムを調べています。来年度からは、日本学術振興会の海外特別研究員として研究を続ける予定です。この度の寄稿では、体験記と研究留学のススメを書いてみようと思います。

簡潔に自己紹介します。私の指導教官は東京大学の横山茂之教授ですが、私は花形のX線結晶構造解析をやらず、理化学研究所の坂本健作研究室にお世話になり、「遺伝暗号の拡張」という怪しい響きの研究に取り組みました。後に、日経サイエンスの記事「“ありえた生物”から生命を探る合成生物学」を読み、自分の研究が合成生物学だったと知りました。博士課程の最終年度に注目論文を発表できたものの、プロジェクト完遂のため、2,3年ポスドクを続けていたのが渡米前の状況でした(2年目からは理化学研究所の基礎科学特別研究員)。学部4年生から数えて10年経ったらラボを移ろうと決めていましたが、漠然と研究留学を考えている程度でした。

私がDieterに初めて会ったのは、苫小牧で開催された第65回藤原セミナーです。Dieter研にいらっしゃった知り合いの日本人博士が、学会直後に私を推薦されたようで、数日後に研究留学が決まりました。以下は実際の流れです。

●金曜日 藤原セミナー終了、横浜に帰る。

●週末 ラボに電話。「留学に興味があるそうだね、小田原に来ない?」

●翌週初め 小田原駅の喫茶店で面接(というかDieter研のプロジェクト紹介だけ)、アメリカ行きが決まる。

⇒  Dieterはそのままバスで第9回アミノアシルtRNA合成酵素国際シンポジウム会場へ。私は新幹線でとんぼ返り。

翌年の4月から新天地、といきたい所でしたが、6月まで待ってもらうことにしました。論文2報分をまとめる必要があったのと、「北米だから暖かい季節がよいだろう」という坂本リーダーのアドバイスがありました。4月5月は研究費支払いや報告書の時期なので、日本にいるメリットもあります。日本での研究プロジェクトは、渡米1週間前にギリギリ実験を終わらせましたが、結局ラボの皆様が総出で手伝って下さり、一年後に2報とも論文発表できました(この場を借りて改めて御礼申し上げます)。Dieter研やYale大学は研究留学関係の事務処理に慣れているので、渡米準備自体はサクサクと進みました。そうして5月末に渡米したのですが、ちょうどセメスターが終わったところで、夏休みの雰囲気でした。こちらではアパートのリース契約は1年縛りで、6月から始まる事が多いので、この時期だと家を探しやすいかと思います。

Yale大学はコネチカット州のニューヘイブンにあります。日常生活は基本的に想定の範囲内という感じで、車を運転しなくても何とか生きていけます。街の大部分が大学関連施設であり、様々なルートの無料シャトルバスがあって便利です。治安やショッピング事情は、10年前に比べると改善されているそうです。イタリア系住民が多いらしく、イタリアンが美味しいです。ニューヨークへは電車で日帰りできます。家賃や物価が年々高くなっていますが、給料も上がります。研究に集中できる環境だと思います。

運命に流されるまま渡米した私ですが、研究テーマについてもノープランでした。最初の一か月強はよく勉強しまして、新しいテーマを提案したらOKを貰いました。しかも、実はボスも同様のプランを計画中だったらしく、私がその大きなテーマを担当することになりました。新しいテーマなので、新しい発見がザクザクで、解析と証明実験が間に合わないという嬉しい悲鳴をあげています。将来の目標として、新しい視点で、新しいメカニズムを発見して、合成生物学に応用する、そういう研究者になりたいと考えています。

ちょっと特殊な例かもしれませんが、アメリカに研究留学する利点として、学部の教科書に載っているような伝説的研究者と一緒に研究できる、という点を挙げたいと思います。Dieterは「生ける伝説」と言ってよいでしょう。アメリカでもそういう枕詞をつけられることが多いです。コラーナ研において大塚榮子先生らと共にコドン表を解明し、80歳を過ぎた今でも新分野を切り開く人です。特にこの10年程では、一部の古細菌においてシステイニルtRNA合成酵素(CysRS)が存在しない謎を解明しました。最初にリン酸化セリンがtRNACysに付加され、tRNACys上でシステインに変換されます。さらにリン酸化セリンをタンパク質構成要素として使用できる大腸菌を開発しています。今でこそ“合成生物学”という分野がありますが、考えてみると、50年前はRNAの化学合成こそが、生物学の中心だったわけですね。

セミナーも充実しています。Yale大学では、隔週で「RNA Club」というセミナーがあり、毎回2つのラボから1人ずつ発表します。夕方なのでピザが提供されます。私はセメスター最終セミナーのトリを務めました。研究がPreliminary過ぎても完成され過ぎていても聴衆には物足りず、わかりやすくて意見しやすい発表を心がけました。後から聞いた話ですが、こわーい教授が聴いていたりすると、博論審査のような雰囲気になる事もあるそうです。また、学期の間は毎日のように著名な先生の講演があります。他大学からの先生は、いくつかラボを訪問されるので、直接議論する機会もあります。例えば合成生物学分野ですと、人工塩基対を大腸菌で複製させたRomesberg教授に対して、私を含む数人がゼミ発表したり、非天然型アミノ酸を構成要素として使うT7ファージを進化させたEllington教授と大腸菌株トークをしたりしました。他にも、博士論文の公開発表も聞き応えがあります。

最後に、Söllfest 2015についても紹介しておきましょう。昨年の秋にDieter 80歳を記念して、弟子達や研究仲間が集まる大きなお祭りが催されました。学長やSteitz夫妻をはじめ、そうそうたるメンバーでした。面白いことに、かつての教え子達は「Söll Survivor」というバッジを貰っていました。また、祭りの最後は暴露大会になっていました。ボスも教え子も、みんなブラックジョークが大好きなのです。私も、記念品に私の未発表データを印刷するボスに、頭がくらくらしましたが、何とか生き残れるように頑張ろうと思います。

皆さまも是非、研究留学を考えてみてください。サイエンスを文化として理解する、良い機会になると思います。


写真1: Söllfest 2015(@OMNI HOTEL)
左から筆者、Dieter、Sergey Melnikov博士


写真2: East Rock ParkとEast Rockエリア


写真3: East Rock Parkから街を見下ろす
中央左がダウンタウン、中央奥がメディカルのキャンパス、中央右がサイエンス・ヒル


写真4: 夏のサイエンス・ヒル


写真5: Söllfestの準備(@サイエンス・ヒル)


写真6: Söllfestロゴとキャロットケーキ(@OMNI HOTEL)