野本明男さんが主宰していた「さきがけと生体機能」は楽しく、実り多い会だった。特に、フォーマルプログラムが終わった後の座談会では気楽に、色々と話が弾んだ。野本さんの面倒見が良かったこともあるが、若い研究者やアドバイザーのコンビネーションが良かったのであろう。野本さんが亡くなったあとも、手弁当で集まる会が4年連続で続いているのは、さきがけのアドバイザーを3期やっているのだが、他に聞かない異色の集まりだ。

このエッセイシリーズ第4話には、インフルエンザウイルスが感染した細胞の核へ入り込み、出来上がりつつある宿主のHnRNAからキャップを持った5′末端を切り取り(別の言い方では“盗み”あるいは“人質として拉致して”)、自分のmRNAに付けてタンパク質合成に使うという恐るべき戦略と、思いもよらないcap-snatchingの発見プロセスについて、そのエピソードを紹介したい。この話は、インフルエンザの研究をやっている永田恭介アドバイザー(現筑波大学学長)が座談の輪に入っていると、随分弾んだ記憶があるのでその折の写真から入って行こう(写真1)。


(2011年、「さきがけRNA生体機能」研究発表会修了後の座談会にて、時計回りに永田、筆者、黒柳、北畠、中村,朝長、松藤の各位)

Robert M Krug

アーロンShatkinの後を継ぎ、Journal of Virology 誌のEditor-in-ChiefとなるRobert M. Krug(以後ボブあるいはボブKrug)は、ニューヨーク市のロックフェラー大学正門の向かい側にある、スローンケタリングがん癌研究所(Memorial Sloan-Kettering Cancer Center)の研究者だった。歳も背丈も老生と同じくらい、相手の話をじっくり聞くタイプで、お互いの研究の悩みや、家族のことについて話す機会が多かった。彼は、現在77歳、テキサス大学(Austin校)の名誉教授であり、まだ現役で研究を続けていてーーNIHからの研究費がまだ2年あるとのことだから、79歳までやれるーー米国は能力さえあれば、高年齢でも研究が続けられるのがうらやましい。

当時、ボブは、インフルエンザウイルス(以後インフルと略す)の転写に関する研究をやっていた。老生は、アーロンの紹介で知りあったのかもしれないが、生物研究者が月例で集まる「Enzymeクラブ」という集会がニューヨークであり、これへ初参加した時、彼が近づいて来て、インフルの転写について語り合ったのが馴れ初めだったかもしれない。

Enzymeクラブは日本にはないタイプの面白い会だった。大きなテーブルを囲んで2~30人が集まり、当夜充てられている1~2名がスライドなしで、自分の研究や研究分野について話しをする。食事はない。マーク・トウェインが招かれてよく(食前あるいは食後の)テーブルスピーチをやっていたというが、スピーチを楽しむ古いアメリカ文化の香りを残すような会だった。黒板はあるが、Q&Aの時くらいしか使わない。目をつむって聞いていて良いので、想像力をきかせて全体像を理解するのには良い。 常連は、Jerry Hurvitsなど、ニューヨークで著名な科学者やLenard Philipsonなどのような、ヨーロッパからサバティカルで来ている欧州の科学者達である。いわば、一種の社交場であったかもしれない。老生は、スピーチを当てられることはなかったがーーふと、「野口英世はここで話したことがあったかな」などと思いめぐらしていた。

核へ行くインフル、何故?

インフルは、いまでは最もよく知られたウイルスであるが、70年代には謎の多いウイルスだった。脂質膜に囲まれたウイルス粒子中には、8本のマイナス鎖(Negative-strand)のゲノムRNA(vRNA)が入っていて、これらのRNAを転写してmRNAをつくるRNAポリメラーゼも粒子中にあるので、ウイルスを単離すると試験管内で、ウイルスのmRNA(らしきRNAを)をつくることが出来た。さて、このように、RNAウイルスは、粒子中に転写システムを持つので、本来、細胞質内で複製するはずである。VSVウイルス(Vescular Stomataitis Viruse)などがよい例であり、細胞質内で増殖する。ところが、インフルエンザウイルスは細胞へ入ると、細胞質内を通過して核内へ行くのである。何故なのか。当時、インフルの話題になると、いつも以下のような質問がでた。

何故、インフルは核へ行くのか、核で何をするのだろう?
何故、精製したウイルスは試験管内でキャップを持つmRNAを作れないのか?

ここで、感染細胞中のウイルスmRNAの情報が重要だが、キャップの発見以来Krug・Shatkin共同研究チームができ、核の中にあるウイルスmRNAの一部はキャップ構造やポリAを持っていることを突き止めていた。第一稿で紹介したテクニシャンのモーリ-ンが、感染細胞中のインフルmRNAについて分析して、5′末端にキャップがあることを確認していた22。1976年初頭には、この論文はまだ未発表であり、我々仲間うちだけの秘密だった。また、宿主細胞のmRNAはRNAポリメラーゼIIが作るのであるが、このポリメラーゼの働きを阻害することが知られているαアマニチンというキノコの毒素が、インフルエンザmRNAの合成を抑えることが知られていて、宿主のRNA合成がウイルスのmRNA合成に絡んでいるらしいことも、頭から離れなかった。

一体に、これだけの状況証拠が揃えば、インフルエンザウイルスの「キャップオリゴ拉致転写反応」など、すぐに思いついても良さそうなものであるが、現実は、そうは行かない。ファジーな可能性がいくつも考えられるのである。生物科学の研究とは、いつも、そうしたものであって、一つ一つ、可能性をつぶしてゆかねばならない。誠に残念なことであるが、「コロンブスの卵」のように、あとからしか判らないことが多い。

Wow! キャップを持つオリゴが、インフルmRNA合成を促進する!

一方、ボブの研究室では、精製したウイルスをつかうin vitro mRNA合成反応(当時はcRNAとも呼んでいた)中へApGというオリゴを加えると、これがプライマー(あるいはスターター)として働き、RNAの合成が一挙に100倍も上昇することを発表していた23。この経験は、老生が、蚕CPVウイルスのmRNA合成の際にSAM(S-adenosyl methionene)を入れるとRNA合成が一挙に100倍も上昇するする現象(第一話)に良く似ているのである。こんな驚きの体験を、ボブと私がシェアしていたことが、二人を引き寄せた理由であったかもしれない。ApG(濃度0.4 mM)は、ウイルスのゲノムRNA(マイナス鎖)の3′末端の配列とマッチするのでプライマーとして納得がゆく。しかし、ApGでなくてもGpGでもRNA合成をかなり(50倍ほどは)促進するのが不思議である。そんな時、「キャップが付いたオリゴはどうだろう」ということになった。

モーリーンがレオウイルスのmRNAを大量に作り、その5′末端からリボヌクレアーゼを使って切り出してきたキャップオリゴm7GpppGmpCを、ボブの研究室でRNA合成系に加えたところ、何とキャップオリゴは、ApGの数万分の1という低い濃度(濃度おそらく~10 nM)でApGに近い促進効果を示したのである。

Wow! キャップを持つオリゴが、インフルのRNA合成に大きな促進効果を示すのだ。

私はあきれてしまった。そして、この友人の発見の幸運を祝いつつ、それからはチアリーダーになったーーあとはボブが先へ進むだけだった。

キャップを持つオリゴキャップをモーリーンが作り、それをアーロンが運んだ。ニューヨークからやってくるボブとルート3沿いのモーテルの駐車場で二人は出会い、サンプルの受け渡しが行われて、この共同研究は順調に進んだ。面白いジョークを二人から聞いて笑った、ーー中年の男2人が、モーテルの駐車場で逢引するなどーー「あの二人は、ヤクの受け渡しをやっているのか、あるいはその手の密接な仲の二人かと」、間違われたのではないかと、ヒヤヒヤしたそうなのである。

キャップをもつRNAがインフルのmRNAに取り込まれる

老生が次に聞いた驚きは、ボブがキャップオリゴではなく、グロビンmRNAをインフルの転写系へ加えたら、それも低濃度でRNA合成を強烈に促進したとのことであった。もうこれにはあきれてしまった。

低分子のApGやキャップオリゴなら、インフルの粒子内に入って行くから「さもありなん」であるが、分子量の大きな、長いグロビンmRNAがインフルのRNA合成を促進し、なおかつグロビンの5′末端の10~15塩基が切断されて、インフルのmRNAの頭に付けられるというブレークスルーへまで発見が発展した時には、もう「おめでとう」としか言いようがなかった。この時、自分だったら「mRNA合成の反応液に、mRNAを入れる」などという、「もう狂っているとしか思えないことは、できないのではないか」と思った。

これだからサイエンスは面白い。何人もの共同研究者がいると、たしかにいろいろアイデアは出てくるが、そのアイデアを実際に許容して遂行するリーダーがいなければ、――つまり、YMW「ってなければ、からないではないか」――と強く言えるリーダーでなければ、ブレークスルーは生まれない。そして、ボブにはそれができた。

この発見を報じる重要な論文には 24、ここまでの共同研究を続けてきたアーロンの名は入っていない。アーロンも、「恐れ入りました」と思って引き下がったのかもしれない。ただ、この後の次の重要な実験には、私も含めてボブを支援することが出来た。それは、32PでラベルしたレオウイルスmRNAをグロビンmRNAに替えてインフルのmRNA合成系に加え、レオウイルスのどの部分がインフルmRNAの合成に必要なのかを調べる実験である。老生は、その前年にキャップ生合成のメカニズムを、解明していて13、そのメカニズムを利用して、mRNAの配列は同じであっても、5′末端がm7GpppG-, GpppG-, ppGなど3種の異なる構造をもつレオウイルスのmRNA作る方法を、オチョア先生(Severo Ochoa, 1959年ノーベル賞受賞)が支援してくれて、PNAS誌に発表していた25

この方法により、モーリーンが3種類の5′末端構造の異なるレオウイルスmRNAを作り、ボブがそれらをウイルスのRNA合成系へ加えたところ、キャップ構造m7GpppG-を末端にもつRNAだけが、ウイルスRNAへ取り込まれることが判った。キャップが要るのである。mRNAの配列は同じであっても、GpppG-,やppGを末端に持つレオウイルスmRNAはインフルエンザウイルスのRNAポリメラーゼにとってプライマーにはならない26。そしてこの時、おおよそ20ヌクレオチドの長さのオリゴキャップが、切り取られ、インフルのmRNAの頭へつけられていることが推定できた。

このときまでに、次項でのべるタンパク合成のために、キャップが重要なことは、種々のデータから知ってはいたが、この時初めて、

「ああ、キャップって、本当に、大事なんだ」
「インフルエンザウイルスが苦労して、宿主mRNAからキャップを盗みまでして、自分のmRNAの頭に付けているではないか」

――キャップ発見者にして――、キャップの重要性を、ここで、確信したのであった。

それにしても、インフルエンザウイルスは、ひどい奴である。ウイルスの生存戦略には色々あって、その戦略を調べることによって、細胞が進化しながら勝ち取ってきた大事な生命反応が明らかになるので非常に面白い27。なかでもインフルは、感染細胞のタンパク合成システムを盗用するために、宿主細胞のmRNAの頭部分を、配列には構わず、ちゃっかり切り取って、自分のmRNAに付けるだけでなく、宿主mRNAを壊して、タンパク合成システムを独り占めにするのである。頭のキャップ部分を切り取られた宿主のmRNAは無残である。残りのRNA部分は不安定になり、分解されてしまうのである。

その後、キャップ拉致反応のメカニズムはボブのグループにより調べられ、写真2でボブ自身が説明しているように明らかになった。インフルの3種のポリメラーゼPB1,PB2,PB3がどのような連携作用でCap snatching反応を行うかについては、すでに教科書にも記載されているので興味ある方は参照されたい28。インフルエンザウイルスはA型、B型の2種類があるが、このどちらもCap-snatching方式で mRNA合成を行う。インフルエンザウイルス以外では、アレナウイルスやブニャウイルス(Arena viruses & Bunyaviruses)がCap-snatching を行うことが知られている。自然界には、この他にも、Cap-snatching方式で命をつないでいるウイルス(あるいは未知の奇生体)がいるかもしれない。


(2011年9月、Shatkin lab. Reunion でCap-snatching発見時の思い出を話すボブ、本人の許可を得て掲載)

インフルエンザウイルスは人類に多大の被害を及ぼすウイルスであり、ワクチン戦略や抗ウイルス薬の開発が絶えることなく続けられている。Cap-snatching反応は、インフルエンザウイルスに特有の反応なので、抗ウイルス薬の開発には標的として理想的である。現在、ウイルスのRNAポリメラーゼが持つキャップ結合能力や、Capped oligonucleptideを切り出すエンドヌクレアーゼを標的にして、阻害剤がデザインされ、いくつかの製薬会社が臨床試験に入っているそうである。それらが有効とみなされて市場に出てくる際には、ここで話したエピソードの幾分かが、紹介されるだろうと思われる。

2011年の春、筆者はアーロンと交信している際に、彼の健康に不穏なものを感じた時があった。そこで、その不安を突っ込んで尋ねてみると、彼が初期のがんを患っていることを知ることとなった。当時、アーロンはRutgers 大に付置されているCABMという大きな研究所の所長であるが、このエッセイシリーズで紹介している華々しい発見に活躍した若い研究者や、往時の共同研究者達たちは、それぞれ名声を得て、世界各国の第一線で活躍していて、彼の近くにはいないことがわかった。そこで、ジムDarnellと相談して、筆者が幹事となり、“Shatkin lab. Reunion”と銘打った“アーロンを励ます会”をロックフェラー大の国際センターで開くことにした。Eメールだけを頼りに開いた同窓会であったが、心のこもった良いシンポジュームになった。約30年ぶりに、世界各地から駆けつけた40名ほどの、かっての同僚に囲まれアーロンの喜びはこの上なかったようである。参加者全員が、思い出や、“それからの私について“を語った。テキサスから駆けつけたボブは、写真にあるように、この項で紹介したCap-snatchingについて話している。写真の左にみえる後頭部は多分、最前列にいたアーロンの頭であろう。

アーロンは、この励ましにもかかわらず、――残念ながらーー、それから3年後になくなったが、彼がまだ元気なうちに、発見談や失敗談なりを、共通の財産として、皆で確認できたことは貴重な記憶となった。

(了)

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References

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 Webster-Textbook of Influenza
 Wiley
 Amazon

学会からのお知らせ

古市-カリコ賞の創設と第1回古市-カリコ賞受賞候補者募集のお知らせ


日本RNA学会では、このたび「古市―カリコ賞」を創設いたしました。この賞の創設にあたっては、先日の東京年会の特別講演者であるKatalin Kariko博士から、先日惜しくも他界された本学会名誉会員の古市泰宏先生を偲ぶための賞の創設が提案され、そのために年会講演謝金を含む賞の創設準備費をご寄付いただきました。そこで、本学会では、このご提案をありがたく受け入れ、この賞を「古市―カリコ賞」と命名し、未来のRNA研究を力強く先導する若手・中堅研究者を対象に、受賞候補者を募集することにいたしました。会員の皆様からの数多くの応募をお待ちしております。

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2024年09月01日 (日)

第25回日本RNA学会年会 発表演題のアーカイブが公開されました

第25回日本RNA学会年会 発表演題のアーカイブが下記の日程で公開されています。

ぜひご覧ください。

・公開期間:2024年7月15日(月)〜2024年7月29日(月)

URLhttps://www.rnaj.org/members/annual-meeting-archive

本アーカイブは、日本RNA学会の会員(一般正会員と学生正会員、および賛助会員、名誉会員の方々)、並びに、第25回日本RNA学会年会に参加登録された方がご覧になれます。

2024年07月15日 (月)

第25回日本RNA学会年会 発表演題のアーカイブへの登録が延長されました

第25回日本RNA学会年会 発表演題のアーカイブへの登録が下記の日程で延長されました。

・発表演題のアーカイブへの登録延長期間: 〜2024年7月11日(木)

演題登録がお済みでない方は、こちらから登録をお願いいたします。年会アーカイブの詳しい情報や動画の作成、ファイルのアップロード法についてはこちらをご参照ください。

また、登録期間の延長に伴い、公開期間も下記の日程へ変更されました。

・公開期間:2024年7月15日(月)〜2024年7月29日(月)

2024年07月05日 (金)

公募情報等

兵庫県立大学大学院理学研究科助教公募

兵庫県立大学大学院理学研究科では、助教を公募しております。詳しくは、下記をご覧ください。

https://www.sci.u-hyogo.ac.jp/staff/index.html

2024年08月23日 (金)

ポスドクの公募(米国ニューヨーク州立大学バッファロー校)

ニューヨーク州立大学バッファロー校ジェイコブス医学・生物医学部、バイオ技術・臨床検査科学科の黒崎 辰昭研究室(https://medicine.buffalo.edu/faculty/profile.html?ubit=tatsuaki)は、2024年6月に設立された新しい研究室です。現在、情熱と意欲に溢れるポスドク研究員を募集しています。

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2024年08月09日 (金)

公益財団法人東京都医学総合研究所 プロジェクト研究リーダー(研究責任者 P. I. )(管理職)の募集

公益財団法人東京都医学総合研究所では、2025年度から第5期プロジェクト研究をスタートするにあたり、新規プロジェクト研究の立ち上げを予定しています。このため、プロジェクト研究リーダー(研究責任者P.I.)を、下記により募集いたします。

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2024年07月22日 (月)

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